西本幸雄氏 亡くなるまで打撃論や球界の将来の持論展開

[ 2011年11月26日 06:55 ]

99年に行われた巨人と近鉄のOB戦で川上哲治氏(左)と笑顔で握手する西本氏

 阪急、近鉄など3球団で監督を務め、プロ野球界を代表する指導者だったスポニチ評論家の西本幸雄(にしもと・ゆきお)氏が25日午後8時40分、心不全のため、兵庫県宝塚市内の自宅で死去した。91歳だった。

 今年9月13日には自宅で転倒。腰椎圧迫骨折で宝塚市民病院に入院した。腎機能が悪化していたが「家に帰る夢ばかり見る」との本人の希望を受け入れ、10月3日からは自宅で過ごしていた。ここ数日間は元気で、打撃論や球界の将来について自宅居間のベッドでよく持論を披露していた。

 由実さん、都さんは「自由に動けなくなってもテレビで野球を見ることで、生きる楽しみや糧を見いだしているようでした」と話す。監督など指導者も多い門下生の成長を楽しみにしていた。教え子の来宅や電話では長時間、話し込んだ。

 ◆西本 幸雄(にしもと ゆきお)1920年(大9)4月25日、和歌山市生まれ。和歌山中(現桐蔭高)から立教大に進み、復員後、社会人・別府星野組で監督兼一塁手として都市対抗優勝。49年新設のプロ球団・毎日に入団。55年引退。60年大毎監督でリーグ優勝。阪急、近鉄といった弱小チームを初優勝に導く。81年勇退。監督通算1384勝(歴代6位)。79年正力賞、88年野球殿堂入り。監督通算20季で8度優勝を果たすが、日本シリーズでは一度も勝てなかった。1メートル71。和子夫人(08年他界)と2女。

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2011年11月26日のニュース