ドラフト改革とFA制度の導入に尽力 吉国一郎氏が死去

[ 2011年9月3日 06:00 ]

93年5月、キューバ野球歓迎パーティーで王氏(左)と話す吉国元コミッショナー

 元プロ野球コミッショナーで、球界の改革、発展に尽力した吉国一郎(よしくに・いちろう)氏が2日午前11時、肺炎のため都内の自宅で死去した。95歳だった。横浜市出身。吉国氏は内閣法制局長官などを歴任し、89年3月に第9代コミッショナーに就任。98年まで3期9年の在任期間は歴代最長で、FA制度の創設やドラフト改革を行った。また、吉国氏の在任中にコミッショナー事務局長を務めた金井義明(かない・よしあき)氏もこの日、肺塞栓(そくせん)のため79歳で死去した。

 物静かで温厚な人柄だった吉国氏が、コミッショナーの職に就いたのは89年3月だった。東大法学部から40年に商工省に入り、法務省などを経て内閣法制局長官として田中角栄、三木武夫両内閣で法律の専門家として手腕を振るった。当時9カ月間もコミッショナーの座が空席だったこともあり、大きな期待を持って球界に迎えられた。

 就任すると、当時はまだ大きな壁があったアマ球界との健全な交流に力を注いだ。プロ選手のアマ復帰の道を開き、プロアマ合同の全日本野球会議を発足。球界の国際化へとつなげた。最大の功績はFA制度の導入とドラフト改革。プロ野球制度改革本部を創設して自ら本部長となり、選手会との交渉では真摯(しんし)に現場の選手の声に耳を傾けた。労使間の交渉では、選手会側に対してゼロ回答は一度も出さなかったという。

 そんなソフト路線の成果として93年、プロ入りする選手の「職業選択の自由」を認めてドラフトに逆指名制度を導入。同年には選手会側の強い要望を受け入れてFA制度も導入した。また、日本選手の大リーグ入りに伴う新たなルールづくりにも尽力。今の記録情報システム(BIS)も構築し、日本プロ野球記録大百科を出版した。3期9年間の在任期間は歴代最長。退任1年という異例の早さの野球殿堂入りは、功績が評価されたものだ。熱心な野球の理解者として知られた吉国氏は、くしくもこの日が95歳の誕生日だった。

 ▼巨人・渡辺恒雄球団会長 一時は良くなったと聞いてたけれど…。(旧制)東京高校の先輩だったし、優しい人だった。理論家でケンカしてもいつも負けていた。信念を持っていて尊敬していたんだよ。

 ▼オリックス・岡田監督(吉国コミッショナー時代の労組選手会長)日本のプロ野球界にとって初めてとなるFAが導入されたときのコミッショナーでした。野球界にとって新しい時代を築かれた方。ご冥福をお祈りいたします。

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2011年9月3日のニュース