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【コラム】海外通信員

怖いけど見たい酒井とファダの勇敢な冒険

[ 2016年9月2日 05:30 ]

帰国したアルセイユのDF酒井宏(左)とフランクフルトのMF長谷部
Photo By スポニチ

 「この時期にOMを選ぶなんてすごい。勇敢だからか、馬鹿だからか」

 左SBベディモがマルセイユ(OM)に到来したとき、ソーシャルネット上にはこんな言葉が登場した。意地悪に聞こえるかもしれないが、OMサポーターにしてみれば褒め言葉だった。なにしろOMは今世紀最大の危機に遭遇中。怒りも涙も出し尽くしたサポーターは、もう笑うしかなくなっていたのである。絶望と自嘲の笑いだった。

 ほぼ同時期にフリーで入団した右SB酒井宏樹にも、同じ視線が注がれた。

 「日本人にマルセイユは無理。メンタルが弱すぎる。ナカタ(中田浩二)を思い出せばわかる」

 「去年はレンタルチーム、今年はタダチーム・・・」

 ソーシャルネットはまた泣き笑いに溢れた。だがフランス人のブンデスリーガ専門家が「サカイはなかなかいい選手」と指摘すると、今度は「ni bon, ni mauvais(ニ・ボン、ニ・モヴェ=良くもなく悪くもなく)」をもじって、「Nippon, ni mauvais (ニッポン、ニ・モヴェ)」というギャグが飛び出した。

 またまた意地悪に聞こえるかもしれないが、この程度で気を悪くしてはフランスでは(とくにマルセイユでは)やっていけない。ここでは打たれ強くなければならないのだ。

 そもそもOMサポーターは、儲けにならないクラブを売ってしまいたい女性大富豪オーナー(マルガリータ・ルイ=ドレフュス)と、権力欲に憑りつかれて財政危機を招いた元会長(ヴァンサン・ラブリュヌ)のどろどろの確執に怒り心頭だった。サポーターからすれば、どちらにも出て行ってもらいたい(元会長の首は飛んだ)。ところが買い手はつかず、選手も売るばかり。監督もなり手がなく、エリ・ボップ元監督時代からのサブコーチ(フランク・パシ)が当面指揮をとっている。怒りのやり場もない状態だったのだ。

 そこへやってきた酒井は、プレシーズンの親善試合でまずまずのプレーを披露。これで、ためらいがちながらも酒井の評価はじわじわ上昇した。だが、ほとんどゼロからのチームづくりで、前線にやっとFWゴミスがやってきたときには夏も半ばをすぎていた。ゴミス自身も、ハイレベルの試合から半年も遠ざかっていた。

 そんななかでリーグアンが開幕した。フランスで最も熱く最も美しい宝石ヴェロドロームに、トゥールーズを迎え撃つ初戦だ。酒井にとってもフランス初の公式戦である。ところがサポーターはスト状態。スタンドの半分しか埋まらない。信じられない光景だった。

 だが酒井は、ちぐはぐなチームにあっても果敢に攻撃的ポジショニングを繰り返し、クロスを連射。レキップ紙から及第点の「5」をもらう(試合は0-0)。

 「右サイドのサカイは非常に目立った。ハウイと日本人SBの波長がよく合い、何度も後者のクロスに行きついたが、供物(クロス)が精緻さに欠けていたうえ、トゥールーズDF陣もパニックに陥ることなくこれらを取り除いた」(レキップ紙)

 まずまずの評価だ。ただ課題は2つあった。

 課題1はクロスが低すぎ、精度にも欠けた点。ドイツなら、グラウンダーや低めのクロスでも、複数のアタッカーがいてシュートに持ち込むだろう。だがフランスでは敵DF陣が猛烈で、スペースを与えてくれない。結果、味方アタッカーも簡単にはゴール前に構えられない。つまり酒井は、ピンポイントの高性能ハイクロスを磨かねばならない。FWゴミスのプレースタイルからみても、なおさらである。

 課題2はディフェンス面。これでミスすれば、あっという間に批判が噴出する。攻撃的持ち味を発揮しつつも直ちに走り戻って、敵の攻撃をきっちり摘み取らねばならないのだ。フランスではこれができないと評価されない。

 そして課題2の危惧が、第2節(ギャンガン戦)で現実となってしまった。ハイポジショニングの酒井が標的にされたのだ。酒井は試合開始1分からドリブルで抜かれて失点を招き、隣のCBヒュボチャンとともに「2」をつけられる(試合も2-1で敗北)。

 寸評も容赦なかった。「前半は終始一貫苦戦した。最初の失点で(敵の)スピードに抜かれた日本人は、イベントについていけなかった。後半はややマシだったが、(前半の)害を取り除けなかった」

 しかもこの後OMに大騒動が起こる。ルクセンブルク人がクラブを買収しそうだ、との報道が炸裂したのだ。それもビエルサ元監督を連れて来るという。“グールー”ビエルサの名が人々を狂喜させた。だがオーナーはこれを否定し、報道に怒りさえ表明。ファンは天から地に突き落とされた。

 メルカートも進まず、MFエヌクドゥーをトッテナムに売る代わりにMFエンジを獲得しようとした路線も行き詰る。OMの危機をみたエンジが心変わりしたらしく、両方を失う最悪の可能性も出てきた。前者はすでにトッテナムでトレーニングを開始しているからだ。

 こうしたなかで8月26日、第3節(ロリアン戦)がやってきた。舞台は怒り渦巻くヴェロドローム。観衆はまた半分。敗北ならOMは降格圏入りする可能性さえあり、絶体絶命のピンチだった。「フランス最人気の名門が・・・」。ファンの恐怖は頂点に達していた。

 だがパシ監督とチームは踏ん張った。周囲の喧騒にめげず、魂を注入したのだ。

 酒井もゴミスにピンポイントのハイクロスを発射、課題1をクリアしてみせた。「酒井はここまで『いい拾い物だがクロス精度がいまひとつ』と言われてきた。だが今回はゴミスに向けてしっかり発射された好クロスだった」(カナルプリュス)と褒められた一発だった。

 課題2については、全力で戻った点はよかったのだが、遅れからオウンゴールしそうになってヒヤリ(GKプレが救う)。それでも「6」をもらった(試合も2-0で勝利)。レキップ紙の評価も、「個人レベルの満足が数多くあった。酒井もオウンゴールしそうだったものの好クロスに成功した」と、酒井を「満足」の中に組み込んだ。

 チームもついにシーズン初勝利をものにし、敵味方の枠を超えてフランスじゅうが大きく安堵した夜だった。

 とはいえOMはいつ何時でも大崩落しかねない状況にある。パシ監督は黙々と奮闘しているが、全ポジションで主力が流出してしまった以上、何が起きても不思議はない。

 だが他の選手たち同様、酒井の勇気も称えたい。第2節であれだけやられてもへこまなかったからだ。マルセイユでは陽気な図太さが必須。その意味では少し敬意ももらったのではないだろうか。

 だがピッチ上では、クロス性能とパス連係を一層磨き、同時に敵の攻撃意図を先読みして走り戻り、しっかりデュエル(一対一の競り合い)に勝ちたい。体格はあるのだから、自信をもってディフェンス面を安定させることだ。

 EURO2016で大活躍したディミトリー・パイエットは、こんな言葉を残している。

 「マルセイユで成功した者は、どこへ行っても成功できる」

 マルセイユのプレッシャーは欧州5大国でも屈指だからである。マルセイユ人は「ファダ」と呼ばれる。笑える狂人といったニュアンスだ。歓喜も憤怒も大袈裟で上下動が激しいが、どこか憎めない。しかもOMは欧州では露出度の高いクラブ。現にここから多くの名手が世界に羽ばたいた。

 29日、オーナーはOMをアメリカ人(野球のドジャーズ元オーナー)に売却すると発表、またしても激震が起きている。恐怖のサスペンスが続きそうなシーズンだが、ファダと酒井の勇敢な冒険を期待したい。(結城麻里=パリ通信員)

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