京都共栄・神前監督退任 「死ぬまで挑戦」甲子園への情熱衰えず、再出発誓う

[ 2022年8月31日 15:00 ]

甲子園球場を訪れ、再出発を誓う神前俊彦さん(O-SITEにて)
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 京都共栄学園の神前(かみまえ)俊彦監督(66)が退任したことが31日、明らかになった。契約任期満了で同日付で退任、後任監督には木谷忠弘部長(49)が就任する。

 神前氏は2016年5月、京都共栄監督に就任し、6年間指揮を執ってきた。契約上、今秋までの任期で、27日の秋季京都大会2回戦で立命館宇治に敗れていた。

 29日、同校グラウンドで野球部員を前に退任のあいさつを行った。

 「私の座右の銘は“死ぬまで挑戦”です。この姿勢に変わりはありません。私は去りますが、君たちも挑戦する気持ちは持ち続けてほしい。また、どこかでお会いしましょう」

 今後の再就職先は「全くの白紙」だが、甲子園を目指す情熱は衰えていない。30日には甲子園球場を訪れ、再出発への決意を新たにした。

 神前氏は関学大卒業後、航空会社に就職。1980(昭和55)年、当時監督不在だった母校の大阪府立春日丘主将から「練習試合でサインを出してもらえませんか」と頼まれたことを機に、サラリーマンのまま監督に就任。2年目の1982(昭和57)年夏、同年春の選抜優勝のPL学園など強豪を連破して初の甲子園出場に導いた。当時の合言葉をタイトルにした著書『やればできるぞ甲子園』(徳間書店)が翌年出版となり、高校野球指導者のバイブルと呼ばれた。その後、会社を早期退職し、監督業に専念するようになった。

 京都共栄では2019年夏、京都大会4強に導いた。同年3月、盛り土で造られた同校グラウンドの法面(のりめん)が崩れ落ちる事故に見舞われた。周辺住民は避難し、グラウンドは立ち入り禁止。復旧が進まないまま迎えた大会で「逆境は人を育てる」「ネバー・ギブアップ」と言い続けての進撃だった。今も「ピンチを乗り越えた経験は彼ら選手、チームの宝物になっている」と話し、思い出深い。

 春日丘時代と合わせ28年間の監督経験がある。野球に生活や人生を映し出す教育的な指導には定評がある。バントや走塁、機動力を駆使する戦法は「神前マジック」と呼ばれている。

 新監督に就く木谷氏は西脇工(兵庫)監督時代の2013年夏、同校初の甲子園出場に導いた。教え子に巨人・大勢(翁田大勢)がいる。 (内田 雅也)

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