【内田雅也の追球】景浦将の命日の一戦「あと1球」からの粘りに阪神打線復調のヒントがあった

[ 2022年5月21日 08:00 ]

セ・リーグ   阪神2-6巨人 ( 2022年5月20日    甲子園 )

<神・巨>9回2死、佐藤輝は中前打を放つ(撮影・大森 寛明)
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 延長12回、5時間3分の末敗れたが、大山悠輔の殊勲は色あせない。9回2死の「あと1人」、2ストライクの「あと1球」の窮地で放った同点2ランだった。

 その直前、0―2の9回裏2死、走者なしで打席に立った佐藤輝明の不屈も評価したい。2球で追い込まれ「あと1球」。3連続ファウルなどで粘り、7球目変化球に体勢を崩されながら遊撃後方、左中間に落ちるポテン打で出塁したのだ。「あと1球」からの不屈が不屈を呼んだわけだ。

 阪神の打線復調は、佐藤輝が「あと1球」から示した、粘る姿勢にヒントがある。前夜も当欄で書いた。<打てずとも粘り、次につなげる。独りで決めようとせず、チーム全体で得点をもぎ取りにいく。誰も助けてくれない孤独な打席での考え方を変えたい>

 巨人先発・戸郷翔征には8回を4安打無得点に封じられた。確かにあのフォークの見極めは難しい。ならば粘るのだ。

 戸郷に6球以上投げさせた打者はのべ6人だった。順に佐藤輝三振(6球)、大山中前打(8球)、近本光司三ゴロ(9球)、三振(8球)、糸井嘉男四球(8球)、糸原健斗四球(8球)。半分は出塁できている。

 近本は延長10回裏2死二塁のサヨナラ機にも8球粘り、無念の三振だった。この夜も無安打だったが、5打席で計35球も投げさせている。復活は近いのではないか。

 この日は球団草創期、豪打を誇った景浦将の命日だった。戦後届いた戦死公報に「1945(昭和20)年5月20日、フィリピン・カラングランで戦死」とあった。

 この3連戦で着用の復刻ユニホームは初年度36年から40年夏までのものだ。景浦もこれを着て「洲崎の決戦」で沢村栄治から特大弾を放つなど活躍していたわけだ。

 2リーグ分立で主力選手が引き抜かれた50年、監督に復帰した松木謙治郎は景浦が何度も夢に出てきたと著書『タイガースの生いたち』(恒文社)に記した。「猛虎魂を植えつけてくれる人がほしかった。景浦をおいてほかにない。だから、あんな夢を見たのだろう」

 詩人・西条八十は「戦場を駆けるタンク」と称した。「闘将」と呼ばれ、闘志が表に出ていた。

 深夜11時過ぎの悔しい敗戦だった。いまの阪神が恋しいのも「景浦」である。=敬称略=(編集委員)

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