元マネジャーが立った初の先発マウンド 「1イニングの貸し」に憧れた高田・金野颯汰

[ 2021年7月17日 11:40 ]

第103回全国高校野球選手権 岩手大会2回戦   高田4―11花巻東 ( 2021年7月15日    岩手県営 )

<資料>試合後、インタビューに答える高田・金野(撮影・河野 光希)
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 岩手・高田の右腕・金野(きんの)颯汰主将(3年)は15日、強豪・花巻東との2回戦に公式戦初先発。1回1/3を3失点で降板も「後ろに頼もしい守備がいたので、自分の中で良いピッチングができた」と悔いはなかった。

 金野は投手板の三塁側に立つ。三塁側ベンチに向かって、大きく踏み出す下手投げの変則投法。きれいなフォームではない。直球も100キロ台。だが、これが今できるベストピッチだ。初回は1年生ながら高校通算20本塁打の怪物・佐々木麟太郎を一飛に斬った。

 中学時代も投手。上から投げる美しいフォームだった。2年時に右肘を故障し、高校で野球を続けることを諦めた。だが、どうしても進みたい高校があった。「1イニングのために練習に励む高田高校に憧れていました」と進路を決めた。

 高田高校には「甲子園に1イニングの貸しがある」と刻まれた石碑がある。甲子園初出場を果たした88年夏、初戦の滝川二戦の8回に雨が激しさを増し、降雨コールドゲームで敗戦。その際、本紙に「甲子園の詩(うた)」を連載していた作詞家の故阿久悠さんが、「コールドゲーム」というタイトルで9回まで戦うことができなかった高田ナインの無念さを詩にしたものだ。

 憧れの高田野球部にマネジャーで入部。はつらつとプレーする選手たちに刺激を受け「自分の好きな野球をもう1度やりたい」と1年冬に右肘を手術。選手に復帰した。それでも痛む肘は上がらない。下手投げに転向してフォームで相手を幻惑することに取り組んだ。

 懸命なリハビリの末、最後の夏に先発マウンドに立った。
「つらくても、楽しい3年間でした」と金野。涙に濡れてはいたが、やりきった顔で言った。(柳内 遼平)
 
【震災からの高田高校】
 ▼11年3月11日 東日本大震災発生。陸前高田市は15メートル近い津波が襲い、市の8割が浸水。海から約1キロ離れた校舎も全壊
 ▼4月下旬 野球部が活動再開。
 ▼5月2日 隣接する大船渡市の旧大船渡農校舎を使用して、新学期を開始。
 ▼同12日 春季岩手県大会沿岸南地区予選の初戦に臨み、釜石に延長10回の末惜敗。
 ▼7月16日 岩手大会初戦で盛岡工に逆転負け。震災後初の夏の大会が終わる
 ▼9月4日 秋季岩手県大会沿岸南地区予選で釜石商工を下し、震災後公式戦初勝利。
 ▼12年9月15日 新校舎着工式。
 ▼13年3月31日 佐々木明志監督が異動。前年に赴任した伊藤貴樹部長が後任。
 ▼7月10日 夏の岩手大会1回戦で盛岡中央に逆転勝利。震災後夏1勝。
 ▼15年3月19日 新校舎完成。旧校舎裏の高台に再建
 ▼18年3月31日 伊藤貴樹監督、奥村珠久子部長が異動。後任に佐々木雄洋監督。
 ▼19年2月 野球部専用グラウンドの整備が完了。
 ▼20年7月23日 夏の岩手県大会準決勝で一関学院に延長13回タイブレークの末敗退するも、25年ぶりの4強。
 ▼8月24日 大船渡市内で保管していた石碑が新校舎に戻る。

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2021年7月17日のニュース