ミスターとメジャー

[ 2018年3月31日 11:30 ]

長嶋茂雄巨人軍終身名誉監督
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 【伊藤幸男の一期一会】元巨人担当記者だった縁で長嶋氏と半年ぶりの挨拶を交わした。

 東京ドームでのプロ野球開幕、巨人―阪神戦。試合前には選手サロンで高橋監督らを激励した。80歳を超えても野球振興にかける情熱は衰えない。肩書は巨人軍終身名誉監督とはいえ、人気衰退に歯止めをかけようと積極的にイベントに出席している。

 ミスターの立場は立大から巨人入り後、60年を経過しても変わらない。ただ、入団年度が半世紀遅れていたら「歴史」は変わっていただろう。

 野茂投手がドジャースのエース格として活躍していた96年、当時G担当だった私に唐突につぶやいた。

 「オレも現役時代はドジャースに誘われたことがあるんだよ。でも正力さん(松太郎読売新聞社社主)が“ノー”。時代がそうだったからね」。

 ミスターが5度目の首位打者に輝いた66年オフ、日米野球で来日したピーター・オマリー会長(当時)から獲得を打診されたが、海外FA(フリーエージェント)権やポスティング・システムなどあるはずもなく、幻に終わった。

 自ら4番に育てた松井外野手がFA権を行使しメジャー挑戦を表明した2002年オフも当然慰留はした。しかし、最高峰のレベルで自らの実力を試したいという野球界の趨(すう)勢は理解していたのかもしれない。

 昔からジョー・ディマジオ、ミッキー・マントルら歴代スターの逸話を明かす時は楽しそうだった。日米の小さな「枠」にとらわれず、スーパープレーを見せることがファンを魅了し、観戦につながると力説してきた。

 第一線から離れた今もMLB観戦は欠かさない。大谷のメジャーデビューとなった30日未明のアスレチックス―エンゼルス戦もチェック。しっかり初安打を見届けた。

 「テレビで見てましたよ。初球でしょ?いいスタートが切れましたね」。日本ハム在籍当時から二刀流を支持してきた野球人として、うれしそうだった。

 もしミスターがメジャーへ行っていたら成功していたのか―。ただ私は、東京五輪でもプロアマ球界をつなぐ大きな柱は長嶋氏と信じているからこそ、タイムマシンはなくてよかったと思っている。(専門委員)

◆伊藤 幸男 1959年6月8日生まれ。84年スポニチ入社。アマ野球、巨人担当。北海道総局勤務を経て現在に至る。

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