【スノボ】戸塚と平野流を小5の時から指導 青木亮氏 戸塚に天賦の才感じた

[ 2026年2月15日 02:00 ]

ミラノ・コルティナ冬季五輪第8日   スノーボード男子ハーフパイプ決勝 ( 2026年2月13日    リビーニョ・スノーパーク )

高鷲スノーパークの近くで下宿し、練習していた頃の(左から)平野流佳、コーチの青木亮氏、戸塚優斗、口寸保頼央さん(口寸保さん提供)
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 戸塚と平野流を小5の時から指導し、今もさまざまな形でサポートする、元選手でグローバルスノーデザイン社の青木亮氏(38)。「自分のレッスン業の始まり。どこへ行くときも基本的にはセットだった」と懐かしむ。

 出会った当時の印象は、「優斗が常に引っ張って、流佳と頼央はそれを見て努力をし続けた。最初で言えば、優斗が5、6歩先を行っていた」と語る。同い年の中では体が大きく、身体能力に優れていた戸塚には「スピンしようがスピードが出ようが、どんなときにもブレなかった」と天賦の才を感じたという。

 最も強く印象に残っているのは、中1でダブルコーク1440を習得した時。「当時としては生きるか死ぬかの大技だった。でもエアバッグである程度仕上げて、雪上では1、2回目に成功した」という。その後は竹のような成長スピードで、世界トップの仲間入り。18年平昌五輪に16歳の若さで出場したが、驚きはなかったという。

 同い年の練習仲間が雲の上の存在になった時、普通の選手なら腐ってもおかしくない。だが平野流は違った。「それがないのが凄いところ。たぶん優斗を別の生物と思っていた」。最も難度の高いスイッチバックやキャブなど他の選手が手をつけていなかった回転方向の技の習得に地道に取り組み、戸塚から4年遅れて五輪にたどり着いた。

 予選から決勝でパイプのサイズが変わり、対応できずに惨敗した22年北京五輪後は、それまで2人が練習しやすいように削っていた高鷲スノーパークのパイプ形状を、「もう聞きません」と要求を突っぱねた。全ては2人がより成長するようにとの親心から。厳しくも温かい青木氏の支えで、4年前の屈辱を晴らす結果を手に入れた。

 ○…戸塚、平野流とともに少年時代に青木氏の指導を受けていたのが、現在はヨネックスでボード開発を手がける口寸保(くちすぼ)頼央さんだ。2人の印象はとにかくメンタルが強く、特に戸塚は極度の負けず嫌い。トランプで負けただけで泣いた時は「さすがに引いた」と振り返る。小5から同時に青木氏の指導を受けるようになり、夜は練習動画を見ながら意見を交わしたという。五輪シーズンの今季は、数十本の板を2人の元へ持っていき、本番用の板を選定。「対等に話すには、こちらも頑張らないといけない」と最高の一本で、金メダル獲得を下支えした。

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