レスリング・文田 悔し涙の銀…グレコ37年ぶり金ならず「指導者や家族や…勝って恩返ししたかった」

[ 2021年8月3日 05:30 ]

東京五輪第11日 レスリング男子グレコローマンスタイル60キロ級決勝   文田健一郎1ー5オルタサンチェス ( 2021年8月2日    幕張メッセ )

<レスリング男子グレコローマンスタイル60キロ級決勝>金メダルを逃し、涙し引き揚げる文田(撮影・会津 智海)
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 男子グレコローマンスタイル60キロ級決勝は19年世界王者の文田健一郎(25=ミキハウス)がオルタサンチェス(キューバ)に1―5で敗れ、銀メダルだった。日本グレコ勢で84年ロサンゼルス五輪の宮原厚次以来37年ぶりとなる金メダル獲得はかなわなかった。女子76キロ級は皆川博恵(33=クリナップ)が3位決定戦で周倩(中国)にフォール負けし、08年北京五輪の浜口京子以来となる銅メダルを逃した。

 試合終了のブザーが鳴る前に、両膝に手をついた。遠かった金メダル。マットを下りた文田は、松本慎吾強化委員長(43)の胸にしがみついて泣きじゃくった。「凄い悔しい。たくさんの人に決勝のマットに立たせてもらった。指導者や家族や…勝って恩返しがしたかった」。久しぶりの銀メダルは「東京を目指してやってきた重み」を感じた。

 徹底的に対策された。投げを警戒されて得意の右四つの組みができないまま、消極的な選手が取る寝技の防御姿勢から失点。後半は寝技の攻撃のチャンスで得点を奪えず「相手の研究の上をいけなかったのは自分の実力不足」と負けを認めた。

 文田の中で五輪が明確になったのが高校2年の12年ロンドン大会だった。父・敏郎さん(59)の教え子で男子フリー66キロ級の米満達弘の金メダルを現地で見届けた。16年リオ大会は後に代表を争う大学の先輩・太田忍の練習パートナーとして同行。銀メダル獲得の瞬間に立ち会った。「ロンドンを生で見て凄く格好良いなと思って、リオで忍先輩を超したいと思った」。太田のメダルには「自分で獲るから」と触らなかった。身近な2人のメダルに、頂点に立つ自分を何度も思い描いた。

 幼少期は韮崎工高の監督を務める敏郎さんが高校生を指導する傍ら、ブリッジなどマット運動で遊んだ。小学校高学年になっても、出稽古に来ていた1学年上の女子選手、古宇田萌恵さん(27)の練習相手を務める程度。当時、古宇田さんが「すぐ倒れるしレスリングもめちゃくちゃ」と漏らすほど弱かった少年は、中学で父に投げ技を教わってから急激に成長した。代名詞となる反り投げを「くらくらする」ほど何時間も投げ続け、錬成された“投げの文田”。それを大一番で出すことはできなかった

 13年2月、レスリングが20年大会の除外危機に陥った時、敏郎さんは遠征先の韓国にいる息子からの電話を鮮明に覚えている。「お父さん俺どうするで。オリンピックなくなったら何のためにやってるで」。甲州弁の悲痛な訴えだった。それほど、五輪は特別だった。3年後のパリは「五輪の借りを返す」舞台。そして、親子のこだわりを証明する場だ。「父の教えてくれた投げるレスリングが世界一と証明したい」。不動の原点で、再び頂点を目指す。

 【文田 健一郎(ふみた・けんいちろう)】

 ☆生まれとサイズ 1995年(平7)12月18日生まれ、山梨県韮崎市出身の25歳。1メートル68。

 ☆競技歴 韮崎工高監督の父・敏郎氏の影響で中学1年から本格的にレスリングを始める。小学校高学年時は女子選手と手を合わせる程度で、父いわく「女の子に強くしてもらったやつ」。韮崎工高卒業後は日体大に進学。

 ☆実績 全日本選手権3回優勝。17年世界選手権で日本グレコ勢34年ぶりの優勝。19年同大会も制覇。

 ☆得意技 組んだ相手を後方に投げる「反り投げ」。「グレコで投げられる選手に」という敏郎氏の方針で習得。幼少期から背骨が柔らかく、ブリッジが得意だった。

 ☆猫レスラー 体の柔らかさから「猫レスラー」と呼ばれ、無類の猫好き。猫カフェ通いが趣味だが、「猫には全然好かれない」。「猫島」と呼ばれる福岡県の相島と藍島に一人旅をしたことも。

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2021年8月3日のニュース