「寝技の浜田」生んだ2人の恩師 高校で基礎固め、大学で格闘技サンボ勧めて飛躍

[ 2021年7月30日 05:30 ]

東京五輪第7日 柔道女子78キロ級決勝 ( 2021年7月29日    日本武道館 )

山梨学院大時代、サンボの試合で優勝し笑顔の浜田尚里(前列中央)(山部伸敏氏提供)
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 「寝技の浜田」誕生に大きく関わったのが、2人の恩師だ。1人目は鹿児島南高柔道部監督だった吉村智之氏(45)。高校入学時、まだ寝技の技術はゼロ。「中学で九州大会にも出たことがない。実力は下の方だった」というが、「不器用の天才、努力の天才だった」と懐かしむ。

 浜田の在学当時、「チームとして強化していた」という寝技。立ち技が身体能力やセンスに左右される一方、時間をかけて練習すれば身に付くことから、「やっている学校でも立ち技7割、寝技3割だが、うちは立ち技4割、寝技6割だった」と重点強化した。現役時代の自身の得意技は担ぎ技で、寝技は「嫌いだった」ほどだが、80年モスクワ五輪代表で「寝技の神様」と呼ばれる柏崎克彦氏の技術書を読み、他校の指導者にも学びながら、「細かい技術の集合体」だという寝技の指導法を確立。浜田にもじっくりと指導した。

 「何をやるにしても、覚えのスタートは悪い」という浜田だったが、類いまれな根気強さで徐々に上達。道場にあったテレビで、柏崎氏監修の寝技教本映像を何度も見返し、寝技はもちろん、引き込み返しや腕がらみの技術も習得した。普段はおとなしく声も小さいが、試合になると豹変(ひょうへん)。「普段はどこに秘められているんだろうというくらい、闘争本能は凄かった」と光るものを感じていたという。

 山梨学院大女子柔道部で指導した山部伸敏氏(52)は、浜田が4年の時にロシア発祥の格闘技であるサンボへの挑戦を勧めた。柔道にはない関節技もあり、「寝技の幅を広げるためには、もってこいだと思った」。ロシアにある強化拠点での武者修行も経験させ、13年にはユニバーシアード、14年には世界選手権を制覇。その後、“本業”でも飛躍するきっかけをつくった2人目の恩師も「30歳で初めて五輪に出るだけで大したもの。本当に彼女の努力のたまもの」と目を細めている。

 ▽サンボ 1920年代にソビエト連邦で軍隊と警官の訓練を目的とし、自己防衛のための特別な格闘技として誕生。その後に「サンボ」と名付けられ、日本の柔術など複数の国の格闘技が取り入れられ、国際的なスポーツ競技となった。柔道とレスリングが合わさったような競技で、投げ技や関節技などで勝敗を競い、絞め技は禁止。73年に初めて世界選手権が開催された。

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