泉谷駿介がマークした陰の世界新? 過去に例のない2年間の成長ぶり 驚異の記録更新ペース

[ 2021年6月28日 10:12 ]

全米選手権の110メートル障害を制したグラント・ホロウェイ(AP)
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 陸上の日本選手権兼五輪代表選考会は27日に幕を閉じたが、ジャマイカ選手権も同じ日に最終日を迎えていた。行われたのは男女の決勝8種目。その中のひとつ、男子110メートル障害決勝(追い風0・6メートル)ではロナルド・レビー(29)が1位でフィニッシュしたが、優勝タイムは日本の泉谷駿介(21=順大)の13秒06(追い風1・2メートル)より100分の4秒遅い13秒10だった。

 6月10日にはリオデジャネイロ五輪の金メダリスト、オマー・マクラウド(27)がイタリアで行われた競技会で13秒01の今季世界2位の好タイムを出していたが、ジャマイカ選手権の予選(26日)を13秒04で通過したあとの決勝では16秒22で最下位。転倒したのか故障したのかはわからないが、100メートルで9秒台、110メートル障害で12秒台という2つの壁を世界で初めて突破したカリブ海屈指のハードラーに東京五輪を目前にして“異変”があったことは確かだ。

 泉谷の13秒06は、2019年の世界選手権(ドーハ)を制し、全米選手権の準決勝(6月26日=追い風1・8メートル)で12秒81の今季世界最高を出したグラント・ホロウェイ(23)とマクラウドの13秒01に続く今季の世界3位。今月初旬に行われた全米大学選手権の同種目決勝(向かい風0・6メートル)を制したロバート・ダニング(24=アラバマ大)が13秒25だったので、泉谷がジャマイカ選手権と全米大学選手権に出場していたらどちらも優勝していたかもしれないという限りなく現実に近い?夢を抱かせてくれる。

 全米選手権決勝(6月26日=追い風0・4メートル)では東京五輪の優勝候補でもあるホロウェイが12秒96で1位となったが、2位のディボン・アレン(26)は泉谷より100分の4秒遅い13秒10。すでに泉谷は“ハードル王国”の米国&ジャマイカ勢と堂々と戦える走力と技術を身に着けていることになる。

 走り幅跳びで8メートル17の自己ベスト(追い風参考では8メートル32)を持つホロウェイは東京五輪でも別格の存在だが、ジャマイカ選手権決勝で8位に終わったマクラウドが完全な状態でないならば、東京五輪の“銀メダル争い”は横一線。泉谷(13秒06)と同じく日本代表となった金井大旺(25=ミズノ)の13秒16は今季世界10位タイだが、この0秒10の間に9人(ジャマイカ勢が5人いるので実質的には7人)がひしめいている。

 泉谷に関しては優勝タイム以上に驚くべきことがひとつある。国際陸連の公式サイトに掲載されている彼の記録更新の足跡を見ると、今回の日本選手権を迎えるまでに保持していた自己ベストは2019年6月30日にマークしていた13秒36。すると彼は自己ベストを2年で0秒30縮めたことになる。競技を始めて間もない時期ならば目立たないタイムの更新幅かもしれないが、2019年6月7日に初めて13秒の壁を突破(12秒97)したホロウェイは、同じ2年間で世界歴代2位の12秒81をマークしているとは言え、その更新幅は0秒16。世界記録が近くなるにつれて更新幅は小さくなるが、泉谷は今季の第一人者の倍のスピードで“進化”を遂げている。

 110メートル障害の世界記録はアリエス・メリット(米国)がロンドン五輪を制してから1カ月後となった2012年9月7日にマークした12秒80。しかしそれまでの自己ベスト(13秒09)を0秒29縮めて世界記録を樹立するまでには5年の歳月を要している。

 110メートル障害の「史上最強アスリートは誰か?」という論議でよくその名が挙げられるのが1980年モスクワ五輪で幻の米国代表となったレナルド・ニアマイア(米国)だ。男子100メートルで10秒の壁を突破したのは9秒95の日本新記録を樹立した今季の山県亮太(29=セイコー)を含めて154人いるが、110メートル障害で13秒の壁を突き破ったのはまだ21人。その第1号となったのは1981年8月19日に12秒93をマークしたニアマイアだった。

 ただし彼は陸上選手としてまだ全盛期だった23歳でNFLの選手に転向。49ersのワイドレシーバー(WR)としてQBジョー・モンタナらとともに1985年スーパーボウルの優勝メンバーになった。ニアマイアはもちろんリーグ屈指の走力を誇っていたが、残念なことにボールをキャッチするというWRとしての基本的な能力がトップレベルに達しておらず、モンタナのメーン・ターゲットとなることもなく3シーズン(計43回のレシーブで4TD)でNFL生活に別れを告げた。

 その後1986年になって陸上界に復帰。しかしNFL選手になったことで体重が増えたために記録は伸びず、マイク・パウエル(米国)が走り幅跳び(8メートル95)の世界記録を出した1991年の世界選手権(東京)で米国の代表に返り咲いていたものの、故障で来日することはなかった。

 この東京での世界選手権を私は取材していたがニアマイアの来日を楽しみにしていた。なにしろ全盛時だった1980年は幻の米国代表で、人類最初の12秒台をマークしたハードラーとは言え、NFL時代を含めて生の姿を見たことがなかったからだ。当時の陸上界最大のスーパースターはもちろんカール・ルイス(米国)ではあったが、「もしニアマイアがNFLに行かずに陸上界に残っていたら110メートル障害の世界記録は誰も手の届かないレベルに達していただろう」という米国の陸上担当記者が書いたコラムが印象的だった。

 そのニアマイアが12秒93の世界記録出すまでの2年間で縮めたタイムは0秒23。泉谷の2年間はこの種目の“神”とまで言われた伝説のハードラーを上回っている。新型コロナウイルスの感染が問題となって揺れ動く五輪だが、ニアマイアがあのとき立てなかった東京の舞台で何かが起こるかもしれない…。13秒06という日本新記録にはそう思わせてくれる多くの可能性が見え隠れしている。

 ◆高柳 昌弥(たかやなぎ・まさや)1958年、北九州市出身。上智大卒。ゴルフ、プロ野球、五輪、NFL、NBAなどを担当。NFLスーパーボウルや、マイケル・ジョーダン全盛時のNBAファイナルなどを取材。50歳以上のシニア・バスケの全国大会には7年連続で出場。還暦だった2018年の東京マラソンは4時間39分で完走。

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