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元レイカーズのエルジン・ベイラー氏が死去 86歳 LA移転後の最初のスーパースター

[ 2021年3月23日 08:22 ]

2018年、自身の銅像の前に立つエルジン・ベイラー氏(AP)
Photo By AP

 NBA元レイカーズの万能型フォワードで、同チームが1960年にミネアポリス(ミネソタ州)からロサンゼルス(カリフォルニア州)に移転したときの“初代スーパースター”だったエルジン・ベイラー氏が22日、妻イレインさんと娘のクリスタルさんに看取られて死去。レイカーズが発表したもので86歳だった。老衰と見られている。

 同氏は1934年9月16日に首都ワシントンDCで生まれ、父親が当時米国に存在した時計メーカー「ELGIN(1968年廃業=現在は日本の企業が商標権を取得)」の腕時計を好きだったためにその名がつけられた。

 195センチ、102キロで跳躍力を生かしたプレーが特徴。“ハイ・リーパー”と呼ばれるこのタイプは、やがてマイケル・ジョーダン(元ブルズ)、ドミニク・ウィルキンス(元ホークス)、クライド・ドレクスラー(元トレイルブレイザーズ)といった選手とともに注目を集めていくが、NBAでの“元祖”はベイラー氏で、ジャンプシュートであっても高く跳ぶそのプレーがファンの人気を呼んだ。

 ただしバスケ人生は波乱万丈。ワシントンDCの高校時代は学業成績が不十分だったために一度中退して家具店で働いており、復学して進学した大学(カレッジ・オブ・アイダホ)でも1年で奨学金を打ち切られた。その後、ワシントン州のシアトル大に転校。ここでようやく全米の注目を集めるようになり、1958年の全米大学選手権(NCAAトーナメント)では決勝まで進出(ケンタッキー大に敗退)した。

 同年のドラフトでレイカーズに全体トップで指名されてNBA入りを果たしたが、このときすでに24歳だった(年俸はわずか2万ドル)。レイカーズは1959年のシーズン終了後にミネアポリスからロサンゼルスに移転。ただし移転前だった1960年1月18日、セントルイス(ミズーリ州)でホークス戦を終えたレイカーズの専用機は電気系統の故障でアイオワ州キャロルの畑に不時着しており、積雪による“自然のクッション”がなければベイラーを含む全選手とコーチ陣は命を落としていたところだった。

 ベイラー氏はNBAデビュー年となった1958年シーズンに24・9得点、15・0リバウンドをマークして新人王となり、球宴ではMVP。NBAでは通算846試合に出場し、膝の故障で36歳で引退するまで27・4得点、13・5リバウンドという成績を残した。球宴には11回出場し、オールNBAには10回選出。ただし8回出場したファイナルでは61得点(1962年)という史上最多得点記録を樹立しながらも、当時の“絶対王者”だったセルティクスに7度跳ね返されるなどで一度も優勝はできなかった。

 引退後は当時、ニューオーリンズ(ルイジアナ州)に本拠を置いていたジャズで3季指揮を執り、レイカーズと同じロサンゼルスを拠点としているクリッパーズでは1986年から2009年までGMを務めた。1977年に殿堂入りを果たし背番号22は永久欠番。2006年には最優秀エグゼクティブにも選出されている。

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