初日本一の天理大に名主務あり、コロナ禍の混乱乗り越えて古賀渉が学んだこと

[ 2021年1月29日 11:30 ]

天理大ラグビー部初の日本一を裏側で支えた古賀渉主務
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 強いチームに名主務あり。いつの時代も、どの競技にも通ずる真理だと感じる。裏方なくして、強化はうまく進まないのだ。

 全国大学ラグビー選手権で初の日本一になった天理大には、古賀渉(4年)がいた。人当たりがいい。気配りもできる。それでいて、仲間に厳しいことも言える。勝ち進むに連れてわんさか増えた報道陣。その対応は未経験であるはずなのに、最初から上手だった。SH藤原、SO松永、CTBフィフィタら、下級生から主力の選手が多かった黄金世代は、メンバー外も熱心な人材が揃っていた。

 「日本一になった瞬間、マネジャー、学生スタッフで力を合わせて頑張ってきた甲斐があったと思いました。僕たちは代に恵まれました。副務も学生コーチもトレーナーも揃っていました。例年、そこまでスタッフの数がいないので、すごくやりやすかったです」

 取材中、口から出たのは、選手や周囲への感謝ばかりだった。自分のことは二の次。そんな人だ。

 裏方のトップである「主務」の仕事は多岐にわたる。主将や監督との綿密な連携、寮の運営、協会とのやりとり、練習試合のセッティング、遠征先の手配、対戦相手の映像入手など。取り組みがルーズな部員を厳しく注意するのも、重要なミッションだ。

 ただ、コロナ禍の今年度ばかりは、前年踏襲でコトが進まなかった。手探り、半信半疑の日常が続いた。反省は、昨年11月の関西リーグ交流戦初戦・摂南大戦。メンバー23人の2週間分の体調管理表を用意していたものの、受付担当には見づらかったようで、確認に時間を要した。選手が、スムーズに会場入りできなかった。

 「次からスタッフで話し合って、選手にストレスをかけないように準備をしました。“これないの?”って聞かれて、“ない”とならないように、みんなで意識を高めました」

 フランカーだった3年までの選手生活は「ディフェンスを頑張るタイプでした」。もともと「人をサポートするのが好き」で、忘年会やイベントごとの幹事を引き受けてきた。だから、主務は肌に合った。

 裏方に回って小松節夫監督(57)の人間力にも深く触れた。親身になって話を聞いてくれる。選手時代に感じた「ちょっと近寄りがたい」という印象は、間違いだった。

 昨年8月、新型コロナウイルスの集団感染が起き、誹謗中傷の電話が寮にかかってきた。学生スタッフの仕事であるはずの電話番が、心ない声が届いた日を境に、監督の役目になった。心苦しい合宿先へのキャンセルの連絡も、気付いた時には指揮官がしていた。

 「正直言って、僕たちは何もできませんでした」

 普段は選手主体でさせてくれるのに、困難な状況では守ってくれた。普段の言動も勉強になった。「小松さんは怒るときはその時だけ。感情を次に持ち越さないという点を学びました」。人をまとめる上で、参考になることばかりだった。

 次のステージで教員を目指す。両親が小学校教諭。小さい頃から憧れていた。「一般企業を考えた時期もありましたけど、教育実習を経験して、すごく好きなことができるかもしれないと感じました」。人の気持ちや行動を読んで、日本一を支えた主務。いい先生が生まれそうだ。(倉世古 洋平)

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