男子やり投げ・ディーン“有給休暇”に感謝 ロンドン五輪で「腹斜筋肉離れ」苦悩の7年経て復活

[ 2021年1月20日 06:30 ]

2020+1 DREAMS 東京五輪まで約半年

セイコー・ゴールデングランプリ陸上2020で優勝し絶叫するディーン
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 【THE STORY】あの音が今も耳に残る。嫌な音だった。12年ロンドン五輪陸上男子やり投げ決勝。ディーン元気(29=ミズノ)は、1投目に、右脇腹に異変を覚えた。

 「バリバリって鳴ったのが聞こえたんですよね」。痛い。だが、やめられるはずがない。ここは念願の舞台だ。「アドレナリンも出ていた」。予選は全体7位の82メートル07。自分への期待も高かった。まさか、7年も苦しむ原因になるとは思いもしないまま、無理をした。だが、記録は伸びない。10位に沈んだ。

 「腹斜筋の肉離れ」で体のバランスが大きく崩れた。故障は肩、腰、背中に連鎖した。だましだましで結果を残せたのは翌13年まで。ロンドンイヤーに自己記録を5メートルも伸ばし、英国人の父を持つドラマもあって一躍脚光を浴びたヒーローは、日本選手権の表彰台からも遠ざかった。

 ネット上でも「終わった」とささやかれた男が、20年に突如、復活した。夏に自己2番目の記録の84メートル05を投げた。10月の日本選手権は2位で、6年ぶりに表彰台に上がった。

 復活の要因は、壁にぶつかる人への示唆に富む。最も大事だったことは休む勇気だ。

 17年は「2試合だけで、他を休ませてもらった」。結果が出ない中での“有給休暇”は、会社への申し訳なさでいっぱいだった。だが、ミズノは治療優先を容認してくれた。ボロボロだった体にビタミンが行き渡った。「体がかなり回復した」。治っては痛めてを繰り返した日々と別れを告げた。再起の下地が出来上がった。

 腹をくくったことも大きな要因だ。19年11月、ネット上で4カ月間の海外合宿の資金を募った。93人から集まった124万7000円は重みがあった。

 「これだけ期待してくださる人がいるんだという衝撃も大きかった。まだ期待してる人がいるんだと」

 やり投げ王国のフィンランドには11年から足を運んでいる。近年は瞬発力強化に主眼を置いた。メニューは大きく変わらなくても「覚悟を持ってやってよかった」と、練習の濃さになって表れた。南アフリカに移動した後、コロナ禍が沸騰。あわてて3月末に帰国してからも、スピードが乗った助走を維持した。8月の復活スローにつながった。

 世界を暗い霧が覆う中、昨年11月、フィンランドへ飛んだ。クオルタネにある拠点は「4キロに一軒くらい」ののどかな地域で、感染リスクは低いと捉える。室内施設が充実。30メートルほど先の壁に向かってやりが投げられる。「技術にフォーカスできる」。今は3カ月間の強化合宿中だ。

 シーズンが始まれば、東京五輪の参加標準記録85メートル00を常に念頭に置く。最低限の数字を毎試合投げることが「五輪で勝負レベルになれる」と信じるからだ。9年前、五輪の4カ月前に投げた自己記録84メートル28を投げていれば、銅メダルだった。あの時に比べて体重は12キロ増えて98キロ。トレーニングの賜物(たまもの)だ。耳に残るあの嫌な音を、次は歓声に変えてみせる。(倉世古 洋平)

 ◆ディーン元気(でぃーん・げんき)1991年(平3)12月30日生まれ、神戸市出身の29歳。小学時代は野球少年で4番打者。中学から兄の影響で陸上を始める。当初は砲丸投げと円盤投げ。市尼崎高でやり投げを始め早大3年時にロンドン五輪出場。趣味は釣り。一昨年に淡路島で釣り上げた87センチのサワラが一番の大物。信念は「自分を信じること」。1メートル82、98キロ。

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