サーフィン代表候補・前田マヒナ ハワイ出身22歳が“柔術トレ”でさらに波乗るしなやかボディーに

[ 2021年1月20日 06:30 ]

2020+1 DREAMS 東京五輪まで約半年

日本代表として東京五輪出場を目指すハワイ生まれハワイ育ちの前田
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 【THE STORY】サーフィンで東京五輪代表入りを目指す前田マヒナ(22)は、昨年11月のジャパンオープンを制し、世界最終予選となる今年5月のワールドゲームズ(WG=世界選手権に相当、エルサルバドル)出場権を獲得した。ハワイに滞在していた前田に大会開催の知らせが届いたのは、わずか1カ月前の10月。新型コロナウイルスで行動制限を強いられる中、ハンデを乗り越えた道のりに迫る。

 他を寄せ付けない強さで、東京五輪への足がかりを築いた。昨年11月のジャパンオープン。前田は決勝までの5ヒート、全てでトップスコアを叩き出す圧巻の内容で完全優勝。残り1枠だったWG出場権を獲得した。

 「最終日はエクセレントスコア(8点以上)を出せずに悔しかった。優勝したから、まあいいや、だけど」。終わったことは、気にしない。前向きな前田ならではだが、大会前は慌ただしく、もどかしい1カ月間だった。

 五輪延期に伴い、無期限延期が決まっていたジャパンオープンの11月開催が決まったのは、10月のこと。4月以降、生まれ育ったハワイに活動拠点を置いていた前田にとって、寝耳に水だった。「コロナでいつ飛行機がキャンセルになるか分からない」と、知らせを受け、すぐに“帰国”の準備を整えた。

 直行便が運航されておらず、米本土のサンフランシスコを経由して成田空港に到着。2週間の自主隔離は、以前から縁のあった神奈川県茅ケ崎市にあるサーフカフェ「K―Ohana’s」で過ごした。用意されたのは、同店オーナーの中村桂一郎さん宅の仏間。「外に出られないのはきつかった。ケガなら海に入れないだけで、外には出られるから」。カフェにはテラス席があり、閉店時間にトレーニングや気分転換で利用できないわけではない。それでも「見られてしまうのは良くない」と自重し、閉じこもった。

 2週間、完全にサーフィンができない圧倒的ハンデ。それを克服し、圧勝できた要因の一つが、5、6年前から始めていた「ジナスティカ・ナチュラル」だ。ストレッチやヨガ、柔術の動きを取り入れたトレーニング法で、器具は一切使用しない。以前はウエートトレーニングを行っていたが、余計な筋肉が付くことで体が硬くなり、ケガが多かった。

 「波の動きはアンプレディクタブル(予測不能)。ジナスティカは次の動きが何か分からない、ゲームみたいに楽しいトレーニング。動きはサーフィンにも合う」。講師として、Zoomを通じて世界中の生徒も指導する。教え子にはカナダの五輪スキーチームの選手もいるという。「2週間、海に入れなかったことは逆に良かった。凄くハングリーになれた」。仏間生活は海への渇望も引き出してくれた。

 待機中には編み物も始めた。ネットフリックスだけでは空き時間をつぶせない。カフェの店員から道具をプレゼントされ、見事にハマった。最初に作った帽子は「穴だらけだった」と笑ったが、全てを忘れ、一つのことに没頭できる編み物は精神的な助けとなった。道具は一宮町にも持ち込み、大会中には時間つぶしでマフラーを編んだ。新たに得た趣味で、集中力を研ぎ澄ますことにも成功した。

 この先どんな“波”が来ても、前田には動じずに対処する問題解決能力が備わっている。「現代の侍のように、オリンピックも戦いたい」。ハワイ生まれのハイブリッドサーファーは、武士の精神で来る五輪に備える。(阿部 令)

 ≪国内外に実力者多数≫サーフィンでは前田のように海外で生まれ育った実力者が少なくない。東京五輪代表の五十嵐カノア(木下グ)もその一人で、日本人の両親の元、米カリフォルニア州ハンティントンビーチで生まれ育ち、現在は日本人で唯一WSLチャンピオンシップツアーで活躍する。幼少期から日本よりも恵まれた練習環境に身を置くことで、自然に実力が磨かれるとされている。一方、WG代表の大原洋人や村上舜、松田詩野は日本で生まれ育ったサーファー。10代から国際大会に出て実力を磨く選手も多く、五輪では地の利も武器に海外勢を迎え撃つ。

 ◆前田 マヒナ(まえだ・まひな)1998年(平10)2月15日生まれ、米ハワイ・オアフ島ノースショア出身の22歳。4歳でサーフィンを始め、5歳で大会初出場。13、14年に世界ジュニア選手権で優勝。14年にはプロリーグのWSLでもジュニアタイトルを獲得。19年に日本サーフィン連盟の強化指定を受け、日本代表を選択。家族は日本人の両親と姉。ミドルネームは「穂乃香」。1メートル62、62キロ。

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