元アメフット日本代表の東野稔氏がエール「今こそ沈着冷静に困難と闘おう」

[ 2020年5月4日 06:00 ]

 現役時代からの信条を書いた色紙を手にする元アメフト日本代表の東野稔氏
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 揺るぎない信念がある。新型コロナウイルスの感染拡大で不透明な社会情勢。確かな明日が見えない今、アメリカンフットボール元日本代表の東野稔氏(45)は、色紙に現役時代からの信条をしたためた。

 「沈着冷静」――。

 世界中が未知の敵、未曽有の困難と戦う苦境。平常心で立ち向かう意義を力強い文字が示している。

 かつて仲間やファンから「天才」と称され、敵からは「怪物」と恐れられた。立命大2年の時、エースQBとしてチームを初の学生日本一に導いた。パスの精度、距離、切れ味鋭いラン、戦術眼、そして冷静な判断力…。司令塔に求められる資質をすべて備え、今も「学生史上最高QB」の呼び声は高い。

 学生時代がライバルとの戦いなら、社会人では自分自身が最大の敵だった。名門シルバースターの一員になるも、すぐに発症した右肩痛がベストパフォーマンスを奪う。「最も苦しかった時期は、社会人2年目からしばらく続いた。練習でも、一球一球投げるたびにしんどかった」。痛みをかばってフォームが崩れ、パスの飛距離も精度もスピードも、見る影をなくした。復活を託した手術は2度。チームの中心にいるのが当たり前だった背番号19は、ベンチが定位置になっていた。

 ただ、プレーヤー、そして人間の真価は逆境でこそ問われる。東野氏は自分を変えることで活路を見いだした。「大学時代は走ることが得意だったけど、ケガを避けるために積極的に走ることを捨てた」。パッサーとして生きる道を選ぶ一方で、メンタル面は自分を貫いた。「ケガで思うようにできなくても、活躍できるイメージは常にあったし、いつかはスタメンで出る気概は持って練習に取り組んでいた」。流した汗は決して裏切らない。37歳の時、初めて日本代表に選出。円熟味を増したプレーで、日の丸に刺激を与えた。

 栄光を極め、挫折にも打ち勝った現役生活にピリオドを打ったのが16年。直後に就いたコーチからも18年8月に退き、現在は社業に専念する。それでも、視線はアスリートのままだ。「今、スポーツ選手としては、体を十分動かせない分、さまざまなことを研究したり、空いた時間でやれることを考え、取り組むことが選手としてのメンタルの成長につながる」。金言は、経験に裏打ちされるからこそ重く、尊い。

 ◆東野 稔(とうの・みのる)1974年(昭49)8月12日生まれ、滋賀県長浜市出身の45歳。長浜西中でタッチフットボールを始め、大産大付を経て、立命大に入学。2年の時、エースQBとしてチームを初優勝に導き、甲子園ボウルでも法大を下した。自身はミルズ杯、甲子園ボウルMVPの2冠。卒業後、アサヒビールに入社し、シルバースターで活躍を期待されるも、右肩痛に苦しんだ。37歳だった11年に初めて日本代表に選出。16年シーズン限りで現役を引退した。現役時代のサイズは1メートル80、80キロ。

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2020年5月4日のニュース