追悼連載~「コービー激動の41年」その55 常勝軍団の敗北と崩壊

[ 2020年4月11日 08:00 ]

2004年のファイナルでMVPとなったピストンズのビラップスとスターン・コミッショナー(当時=AP)
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 デレク・フィシャーの劇的なミラクルショットでスパーズに競り勝ったレイカーズは2004年の西地区決勝で第1シードのティンバーウルブスも4勝2敗で下して2年ぶりのファイナル進出を決めた。王座を争う相手は東地区を制したピストンズ。連覇を達成した1990年以来、14年ぶりに迎える大舞台だった。

 シリーズ開幕前の予想では圧倒的にレイカーズが有利。しかし4勝1敗で勝ったのはピストンズだった。レイカーズは第4戦で右膝を痛めたカール・マローンが第5戦で欠場。ジャズ時代を含め、ポストシーズン通算194試合目で初めて経験するリタイアだった。そしてこのシリーズが彼にとってこれが現役最後の姿となった。

 第5戦のスコアは87―100。マローンが下を向いてコートを去るとシャキール・オニールとコービー・ブライアントはぼう然とした表情を浮かべながらロッカールームに向かってとぼとぼと歩き始める。NBAファイナル史上に残る番狂わせ。それはフィル・ジャクソン率いる常勝軍団にとっては屈辱的な幕切れだった。

 MVPとなったピストンズのガード、チャンシー・ビラップスのコメントが印象的だった。「誰もうちのチームに勝つチャンスがあるなんて思わなかっただろう。向こうにはシャックがいてコービーがいる。でもチームとしてはうちのほうが良かった」。個々を制したのは「チーム」という名の組織。ピストンズは組織力でレイカーズの個人技をつぶしたのである。

 敗戦を受けてオニールは「面白い夏になる。みんな自分のビジネスに専念するはずだ。自分にとって何がベストなのかを考える時期。さてどんなことが起こるのかな?」と皮肉を交えて語っている。マジックからレイカーズに移籍して8シーズン目。ファイナルで3度優勝した怪物センターはブライアントとの確執が表面化して以来、レイカーズへの忠誠心は次第に薄れていったようで、試合終了直後に移籍を視野に入れたような発言をしている。

 就任以来、5シーズンで3度の優勝に導いたフィル・ジャクソン監督も第5戦を前にして「コーチングをするのもこれが最後かもしれない」と考えていた。ブルズで始まった長い長い監督生活。すでに58歳になっていたこともあって監督業への未練はなくなっていた。

 敗戦のあと、ロッカールームでジャクソンは選手に対して「努力が報われなかったという無念さはある。しかし君たちは何も悪びれることはない。今はデトロイトを称賛する時だ」と何ひとつ責め立てるようなことはしなかった。最初にハグしたのはオニール。ちょっと戸惑った表情を見せたオニールだが、すぐに腕を回してその抱擁を受け入れた。次はブライアント。「君のこのシリーズでの奮闘には頭が下がる」とジャクソンは労をねぎらったが、指揮官との間に亀裂が入っていたブライアントがどう思ったのかはよくわからない。あまり活躍できなかったフォワードのブライアン・クックは「すみません。あなたが期待していたことを僕はできなかった」と涙。抱きしめる選手によって、その表情と感情はまちまちだった。

 2004年6月18日。この日はロサンゼルスでレイカーズのフロントと選手やスタッフが個別面談を行う日だった。しかしオニールはすっぽかした。おそらくわかっていて来なかったのだろう。ジャクソンはブライアントを見つけると自分の部屋に呼び込んだ。この時に交わした会話は過去、現在、未来をすべて物語るものだったと言ってもいいだろう。関係がぎくしゃくしていた2人だが、最後だけは本音をぶつけあった。

 「私がこのチームにいるかいないかは、君がレイカーズでプレーしたいという気持ちに影響を与えてしまうかい?」。ブライアントは困惑した表情を浮かべた。そしてこう答える。「トライアングル・オフェンスにはさんざん文句を言ってきましたがその戦略は自分には必要だった。もしあなたがここにいるなら、僕は最高の選手になれると思います」。しかし指揮官の腹はすでに決まっていた。(敬称略・続く)

 ◆高柳 昌弥(たかやなぎ・まさや)1958年、北九州市出身。上智大卒。ゴルフ、プロ野球、五輪、NFL、NBAなどを担当。NFLスーパーボウルや、マイケル・ジョーダン全盛時のNBAファイナルなどを取材。50歳以上のシニア・バスケの全国大会には一昨年まで8年連続で出場。フルマラソンの自己ベストは2013年東京マラソンの4時間16分。昨年の北九州マラソンは4時間47分で完走。

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