車いすテニス・三木拓也 延期をプラスに!憧れ国枝に決勝で勝って「金メダルを」

[ 2020年4月11日 09:30 ]

チャレンジド・アスリートの軌跡~障がい者スポーツ~

19年8月のマレーシアオープンでプレーする三木
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 新型コロナウイルスの感染拡大で1年延期された東京パラリンピックは11日、開幕500日前を迎えた。スポニチ本紙は練習環境が整わない状況で精神的な動揺を受けながら、前を向くパラアスリートを直撃。16年リオデジャネイロ大会で車いすテニス男子ダブルス4位の三木拓也(30=トヨタ自動車)が、仕切り直しとなった東京パラへの思いを語った。

 東京パラリンピックの1年延期が決まり、現在車いすテニスは7月までツアー大会が中止になっている。三木は「試合感覚がなくなるかもしれないことが一番大きいですね」と心配する。それでも延期の決定には前向きだ。理由は17年11月、移動用バスの車いす用スロープのシャフトが折れる転落事故に巻き込まれ、引退を考えるほどの激しい腰痛(仙腸関節炎)に悩まされたことだった。練習再開には半年を要し、復帰は19年2月。ケガはほぼ完治したが、パフォーマンスは回復途上で「技術や体力的な強化はもちろん、18年に試合に出られなかった部分も含めて1年延期は僕にとってプラスになってます」と語った。

 新型コロナウイルスの影響で東京・味の素ナショナルトレーニングセンターは現在使用できない。車いすで毎日約6キロの走り込みなど個人でのトレーニングや腰周りのケアを続ける。従来の「6月8日発表の世界ランク40位以内」という選考基準であれば、現在12位の三木は出場をほぼ手中に収めていた。新たな選考方法は不透明のままだが「再選考になった場合でも、自分のベストを尽くして代表目指して頑張りたい」と力強く語った。

 車いすテニスの第一人者である国枝慎吾(36=ユニクロ)は、三木にとって光だった。出雲高入学後に本格的にテニスを始め、3年で島根県総体ダブルス準優勝の成績を残したが、その後の10月、左脚に骨肉腫が発覚した。失意に沈んだ三木を救ったのは、08年北京大会で車いすを駆使してコート上を駆け回る国枝だった。憧れるからこそ「国枝さんと決勝の舞台で戦えたら最高だし、実現したい。シングルスで金メダルが獲りたい」。不屈の心が、三木の原動力になっている。(小田切 葉月)

 ◇三木 拓也(みき・たくや)1989年(平元)4月30日生まれ、島根県出雲市出身の30歳。高校3年の10月に骨肉腫を発症し、左膝を人工関節に置換した。当時の主治医に国枝慎吾の試合動画を見せられ、車いすテニスの世界へ。パラリンピックは12年ロンドン、16年リオに出場し、リオではダブルス4位。趣味は風景写真の撮影。1メートル73、67キロ。

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2020年4月11日のニュース