車イスの元ラガーマン新生活にトライ!京産大元主将、懸命なリハビリ経て卒業 島津製作所に就職

[ 2020年4月1日 05:30 ]

新社会人としてスタートを切る京産大ラグビー部元主将の中川将弥さん(撮影・倉世古 洋平)
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 関西大学ラグビーAリーグで4度の優勝を誇る京産大元主将の“幻のトップリーガー”が、4月1日に新社会人としてスタートを切る。中川将弥さん(24)は17年に試合中の負傷で一時は首から下がマヒ。懸命のリハビリで車いす生活を送れるようになり、精密機器大手・島津製作所に就職する。

 中川さんは主将だった17年のリーグ戦でタックルを首に受け、胸から下がマヒをした。全国大学選手権の出場も、内定が出ていたトップリーグのチームへの就職もなくなった。リハビリは、1カ月、毎日失神するほど過酷だったが「ラウンドに戻りたい」の一心で耐えた。今、補助器具なしで、自力で100メートルも歩ける。2年遅れで今春、京産大を卒業。新社会人となる。

 「こういう体でも社会人としてやっていけるということを発信できたらと思う」

 京都市内の島津製作所へは、自ら自動車を運転して通勤し、社内は車いすで生活する。3部リーグ「トップウェストA」のラグビー部にもスタッフとしてたずさわる。

 ケガをした年に交際が始まった結花(ゆいか)さんと1月に結婚した。不自由な体では迷惑をかけると、寝たきりの病室で「別れていいよ」と切り出したが、「まーちゃん(将弥)はまーちゃんだから」と、寄り添ってくれた。「ケガをしたけど、これも僕の人生。大変だけど、仕方ないととらえている」とサラリと言う明るさが、多くの人に慕われる理由だろう。

 全国で恐れられる「京産のスクラム」は猛練習で築き上げた。フッカーで気が遠くなる数を組んだ。ラグビー一筋の男は、障害を抱えての大企業勤務に少なからず不安を持つものの、スクラムで大切にした「努力、準備、コミュニケーション力」を武器に、社会人生活に挑む。

 《激突した選手はがん克服》図らずも中川さんと激突したラガーマンは、がんを克服した選手として知られる。同じ96年生まれの田中伸弥は当時、近大のFW。事故が起きた試合の数週間後に胸部のがんを告知された。中川さんは「生死にかかわる重病を抱えながら、僕のお見舞いに来てくれた」と打ち解けたという。田中は1年遅れでトップリーグ三菱重工相模原に入り、フランカーをしている。

 ◆中川 将弥(なかがわ・まさや) 1996年2月27日生まれの24歳。奈良県御所市の掖上わきがみ小1年から「御所ラグビースクール」で競技を始め、御所中から御所実へ。高校2年時に全国準V。京産大が全国大学選手権で初めて明大に勝利した16年(8強)に、3年生で主力フッカーとして活躍した。

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