トランポリン世界女王・森ひかる 運命の7・31へ――「泣き笑い指数」で振り返る競技人生

[ 2020年3月10日 08:30 ]

2020 THE PERSON キーパーソンに聞く

「最高の舞台で最高の演技」と書いた色紙を手に笑顔の森ひかる(撮影・木村 揚輔)
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 夢舞台で満開の笑みが咲き誇る。19年トランポリン世界選手権の女子個人で金メダルを獲得し、東京五輪代表を決めた森ひかる(20=金沢学院大ク)は天真爛漫(らんまん)な笑顔でスポーツ界を彩った。スマイルの裏にはもちろん、つらい涙の日々も。森が算出した「泣き笑い指数」で競技人生を振り返り、五輪での活躍を誓った。(杉本 亮輔)

《ヨーカドーで運命の出会い》
 4歳【笑い指数80】現在はなくなった東京都足立区のイトーヨーカドーで運命の出合いを果たした。屋上、200円で7分遊べるトランポリンで跳びはねた。「ただただ、楽しかった!」

《着地で骨折…二度とやるか》
 小学4年【泣き指数100】練習中、着地で左手を出してしまい、骨折した。「腕を見たら反対に曲がっているし、骨は粉々だったし、指も3本しか動かないし…。こんなん、二度とやるか!って思った。お母さんが言うには病院に行くまで、気を失っているようだったって。車の中で病院まで“まだ…?”って聞いて、数秒後に“まだ…?”って聞いていたみたい」

《「トリフィス」成功もケロリ》
 小学6年【笑い指数60】今も最大の武器とする大技「トリフィス(前方3回宙返り半ひねり)」に成功。「他の技と同じで、普通にうれしいくらい。特別な技ってそんなに考えてもいなかったし。私はひねりよりも、回転の方が得意なので、そんなに苦労はしなかった」

《東京決定も…「24年がいい」》
 中学2年【笑い指数50】13年9月、東京五輪の20年開催が決定した。「当時は東京は24年がいいなあって思っていた。東京に決まってうれしかったけど、1度五輪を経験してから2回目が東京がいいと思っていたので。でも、今は20年で良かった。年齢的にも一番いいなって思っている」

《「挑戦者」奏功 最年少日本一》
 中学2年【笑い指数90】14歳で出場した全日本選手権で史上最年少優勝を飾る。予選8位から無欲の日本一だった。「勝ちにいったというより、勝っちゃったって感じ。うれしかったけど、ビックリの方が大きかった。狙いにいかず、挑戦者という気持ちで臨んだのが良かったのかなぁ」

《環境変わって「もうどん底」》
 高校1年【泣き指数100】競技に重点を置くため、11月に都内の高校から石川・金沢学院東(現金沢学院)高に転校した。「もう、どん底。調子がいいとか悪いとかまでいかず人間関係も苦しかった。毎日のように泣いていた。校則も前の高校の方が緩かったし、学院では携帯電話もダメだった。私を含めてクラスに女子が6人で…。前の高校だったら誰と仲良くなっていたのかな、とか今でも思う」

《マイナー競技ゆえの悲しさ》
 大学1年【泣き指数80】18年ジャカルタ・アジア大会の女子個人で銀メダル、シンクロナイズドでは金メダルを獲得した。だが、凱旋のはずの空港で、マイナー競技の悲哀を感じることに。「成績はうれしいはずなのに、悔しい思いをした。メダルを獲った選手はメダルをかけてと言われたので、メダルをかけて到着ロビーに出ていったけど、陸上の選手は凄い囲まれているのに、私には“誰だ!?”くらいの感じで。恥ずかしすぎて、すぐメダルを外した。トランポリンはこんなもんなんだなって」

《満員の歓声が「力になった」》
 大学2年【笑い指数150】東京五輪会場、有明体操場での世界選手権で、日本初の金メダルを獲得した。「もう、あれは最高だった。日本開催でプレッシャーもあるかなと思ったけど、試合が始まったら凄い力になった。観客席も満席で、たぶん初めて見に来た人も多かったと思うけど、その中で優勝できたのは、凄くうれしかった」

《狙う自分史上「最高の演技」》
 大学3年【笑い指数2000!】世界女王として、東京五輪に臨む。「自分の最高の演技をして、メダルを獲れたら最高。笑い指数は2000です!」

 トランポリン女子個人は7月31日。日本初の表彰台に立つ。人生最高のスマイルとともに。

 ▼森 ひかる(もり・ひかる)1999年(平11)7月7日生まれ、東京都足立区出身の20歳。4歳でトランポリンに出合い、高校1年で名門の金沢学院東(現金沢学院)高に転校。金沢学院大2年。13年の全日本選手権個人を史上最年少の14歳で優勝した。世界選手権では18年のシンクロナイズド、19年の個人&団体で金メダル。1メートル59、51キロ。

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