31歳山中、猛進トライ ラグビーW杯メンバー入りへ最後のチャレンジ

[ 2019年8月11日 05:30 ]

ラグビー パシフィックネーションズ杯最終戦   日本34-20米国 ( 2019年8月10日    フィジー・スバ )

後半3分、トライを決める山中(撮影・吉田 剛)
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 W杯メンバー発表前最後の試合で初先発したFB山中亮平(31=神戸製鋼)が1トライを記録した。10代から将来を嘱望されてきた大器は、11、15年とW杯代表入りはならず。年齢的にも最後と位置付ける自身3度目のチャレンジで、サバイバルをアピールした。

 ポーカーフェースの中に、緊張を隠してプレーした。前半なかば、何でもないキックをノックオンした場面を「完全に硬かった。ガチガチで、あんな落とし方は最近はなかった」と振り返った山中。だが一つのミスで全てが崩れた4年前までの繊細な姿はなかった。後半2分はラインアウトからFW勢で前進し、ラックからパスが渡ったSO田村の内側を鋭く走り込んでトライ。15分のリーチのトライにつながる場面では、WTB福岡が捕まったところでそのままボールを拾い上げて相手陣22メートルラインまで突破。ディフェンス時にはかつてプレーした10番の位置で激しく体を当て続け、「トライは今週、準備した通り。ディフェンスもあそこが見せ場なので」と胸を張ってみせた。

 4年前は8月31日のメンバー発表直前、落選をエディー・ジョーンズ前ヘッドコーチから伝えられ、合宿地の宮崎から神戸へ帰った。やり場のない気持ちを抱えてもおかしくない状況だったが、当の本人は「ホッとしたというか(やっと)終わったという感じやった」と言う。悔しさよりも、苦しみから解き放たれた安心感。だが今は「これからだという感じ」。昨年FBに転向し、才能を開花させて本気度は一変した。

 最後の試合を終え、18日に始まる網走合宿がラストバトルの舞台となる。「今までやってきたことを、さらに磨きをかけていく」。もし落選すれば、今回は号泣する。ポーカーフェースの天才肌が、プライドを捨てて勝負の11日間に臨む。


 ◆山中 亮平(やまなか・りょうへい)1988年(昭63)6月22日生まれ、大阪市出身の31歳。東海大仰星―早大―神戸製鋼。高校、大学時代にはそれぞれ日本一を経験し、早大4年だった10年5月のアラビアンガルフ戦で日本代表初キャップ。11年、15年W杯は代表候補になるも落選。16年からはサンウルブズでもプレー。1メートル88、95キロ。現在は主にFBだが、スクラムハーフ以外のバックス全ポジションの経験あり。



《未完の大器がようやく開花》
山中は高校、大学時代とスター街道を歩んできた。SOの自身を中心として、東海大仰星、早大で日本一になった。過去には仲間に強く当たることがあり、エゴが強い人間と勘違いされるが、根は素直だ。早大の同期で神戸製鋼のフッカー有田の思い出話がある。

 大学4年のある試合で、山中は片手でトライにいき、ミス。その後、両手でトライするという懲罰的練習を課せられた。花形選手には屈辱的な仕打ちだったが「次からは絶対に両手」と言いながら、両手の皮がズルズルにむけるまで練習をやり通したという。

 この日、米国戦のトライは丁寧に、大事に押さえたものだった。昨季、世界的名将のスミス氏が神戸製鋼の総監督に就任すると、教えを素早く吸収。軽率なプレーが減り、FBで能力が開花した。スターがようやく、旬を迎えようとしている。

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2019年8月11日のニュース