20年ピクトグラム 64年東京に回帰「原産国の名に恥じぬ」

[ 2019年3月13日 05:30 ]

2020 THE TOPICS 話題の側面

ピクトグラムを披露する飯塚(左)と清水 
Photo By スポニチ

 20年東京五輪開幕まで500日となった12日、東京五輪・パラリンピック組織委員会は都内で各競技を絵文字で表す「ピクトグラム」50種類の発表会を行った。ピクトグラムは64年東京五輪で初めて導入され、56年の時を経て“凱旋”。64年をベースに、先人へのリスペクトを感じさせる「原点回帰」デザインが大会に彩りを添える。

 発表会には空手女子の清水希容(25=ミキハウス)と陸上男子短距離の飯塚翔太(27=ミズノ)が出席した。追加種目の空手は五輪で初めてのピクトグラムとあって、清水は「道着も帯もリアルに再現されている。格好いい」と感激した。清水はピクトグラムと同じ「手刀受け」のポーズも披露。「空手の良さをたくさんの人に知ってもらえるように良い演舞をしたい」と話した。飯塚も清水に負けじとスタートダッシュのシーンを再現。「飛び出し角度がいい。凄く速そうなロゴ」と絶賛した。

 64年東京は世界中の人々が言語を使わずに理解できるよう「情報伝達」を重視してピクトグラムが制作された。その後は開催地の歴史や伝統が反映されることも多く、04年アテネでは紀元前の「キクラデス文明」の像、08年北京は古代中国の「篆書体(てんしょたい)」を基にデザインされている。

 20年のデザインはグラフィックデザイナーの広村正彰さんら、約10人のチームで17年6月から開発。現代的なデザインの中にも、64年大会のピクトグラムをベースに、先人たちへのリスペクトを込めた「原点回帰型」となった。広村さんによると、自転車、サーフィンといった新競技のデザインが難しかったといい「今にも動きそうなものを作りたかった。スポーツピクトグラムの原産国の名に恥じぬものができたと思う」と胸を張った。 

 ▼ピクトグラム 文字で表現する代わりに単純な図で分かりやすく伝えることを目的に使用される。言語が異なる場合でも視覚で情報を伝えられるため、トイレや非常口など日常生活に数多く取り入れられている。

 《世界に先駆け導入 各国続いた“レガシー”》ピクトグラムは64年東京五輪が全面導入の先駆けとなった。デザインを手掛けたのは当時の若手美術家ら。狭い作業場で生まれた作品の数々が、後に各国の五輪や万博で使われる絵文字の原型となった。「アフリカの人も北欧の人も来るんだ。一目見て分かるものを考えよう」。組織委が入る赤坂離宮(現迎賓館赤坂離宮)に招集された11人に、美術評論家の故勝見勝氏が呼び掛けた。楕円(だえん)形の大型机に鉛筆とわら半紙が積まれていた。11人は後に世界的美術家となった横尾忠則さんら新進気鋭の顔触れ。最年少の25歳だった版画家の原田維夫さん(80)は「憧れの大先輩ばかり。そこに呼ばれて誇らしかった」と振り返る。作業が終わった後、11人は著作権放棄の同意書にサインした。普及を重視する勝見氏の方針だった。東京を契機に国際イベントでの使用が一般化し、ピクトグラムはレガシー(遺産)となった。

続きを表示

この記事のフォト

2019年3月13日のニュース