釜石は「日本ラグビーのレガシー」…W杯きっかけに強豪復活、さらなる復興を

[ 2018年8月28日 11:00 ]

<釜石鵜住居復興スタジアムこけら落とし(新日鉄釜石OB・神戸製鋼OB)>試合を終え、あいさつする釜石・松尾(左)(撮影・吉田 剛)
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 共通項の多さに改めて驚かされる。港町のチーム、親会社が鉄鋼メーカー、赤いファーストジャージー、ラグビー日本選手権7連覇。そして、震災で地元が大きな被害を受けた。新日鉄釜石と神戸製鋼。前者は東北のチームらしいひたむきさと力強さ、後者は鮮やかな展開ラグビーとスタイルは異なるが、日本中のファンから支持を受けた点も同じだ。

 2019年ラグビーW杯日本大会へ向け、岩手県釜石市の被災地に新設された釜石鵜住居(うのすまい)復興スタジアムが8月19日、オープンした。記念試合の一環として組まれたのが、釜石と神鋼のOB戦だった。V7戦士が激突した10分間のレジェンドマッチと、全メンバー参加の20分間のOBマッチ。レジェンドマッチは7―5で神鋼が、OBマッチは24―17で釜石が勝ったが、かつて旧国立競技場に熱狂を呼んだメンバーたちの勇姿に、収容人員を超える6530人が来場した真新しいスタジアムが沸いた。

 釜石のレジェンドマッチのチームはFW第1列が石山次郎―和田透―長山時盛で、ロックに千田美智仁と瀬川清、HB団はSH坂下功生―SO松尾雄治、CTB小林(現姓・角)日出夫、FB谷藤尚之らで編成。松尾を除くと、釜石で名を上げた人ばかりだ。林敏之、大八木淳史、大西一平ら学生の頃から有名だった選手が多い神鋼とは決定的に違う。情報伝達が遅かった時代、人材に恵まれているとは言えない地に常勝軍団が誕生したのは、かなりの奇跡だと思わずにいられなかった。

 松尾氏は言う。「当時のチームは東北、地元の高校を卒業した選手がほとんど。我々の時は大学生は4人だけで、あとは高校生。高校生でも“一級品”は桜庭(吉彦、ロック)と泉(秀仁、WTB)ぐらい。それ以外は高校の2軍みたいな選手ばかりだったけど、釜石でラグビーをすると、あっという間に凄い選手になる」。昼は製鉄所で肉体的にも厳しい仕事に従事し、夜には凍てつくグラウンドでの練習で、ぶれない強さを体に染みこませる。人材は確保するものではなく、育成するもの。そんな土壌で“北の鉄人”は強くなっていった。「第2の故郷。僕を育ててくれて、いろいろな物の考え方から全てを教えてくれた土地」と松尾氏も振り返った。

 東日本大震災直後に駆けつけて以来、新日鉄釜石を受け継いだ釜石シーウェイブスと交流を続けるヤマハ発動機の清宮克幸監督は、釜石を「日本ラグビーのレガシー」と表現する。だからこそW杯開催にも意義があるという。釜石シーウェイブスはトップリーグ昇格を果たせていないし、震災からの復興も途上だが、釜石にはラグビーが町を引っ張った歴史があり、文化が根付いている。鵜住居復興スタジアムでのW杯は、来年9月25日のフィジーvsウルグアイ、10月13日のナミビアvs敗者復活予選優勝チームの2試合。この試合を機に、再び有名ラグビー選手が育つ町になってほしいと願う。(専門委員・中出 健太郎)

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