スパーズのジノビリが現役引退表明 NBA16シーズンで4度のファイナル制覇 41歳での決断

[ 2018年8月28日 16:04 ]

引退を表明したジノビリ(AP)
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 NBAスパーズ一筋に16シーズンにわたってプレーを続け、ファイナル4度の優勝にも貢献したアルゼンチン出身のシューティングガード、マヌー(エマニュエル)・ジノビリ(41)が27日、契約を1年残して現役引退を表明。「いろいろな思いがあるが、引退することにしました。23年におよぶ自分の競技生活に関わった家族、友人、チームメート、コーチといったすべての人たちに感謝します。自分が描いていた夢を超える素晴らしい旅でした」と述べてユニフォームに別れを告げた。

 レギュラーシーズンでは通算1057試合に出場して平均13・3得点、3・5リバウンド、3・8アシスト。3点シュートの成功率は36・9%だった。プレーオフでは218試合で14・0得点、4・0リバウンド、3・8アシスト。ファイナルでは03、05、07、14年で優勝に貢献。球宴にも2度(05、11年)選出され、05年にはシックスマン賞にも輝いた。

 土壇場での勝負強さ、安定したシュート力、さらに相手の股間を抜くような奇抜なパスやユーロステップを駆使しての独特なムーブなど、NBAの技術的概念を大きく変えた人物の1人。シルバー・コミッショナーは「NBAのグローバル化に貢献したパイオニアだった」とその功績を高く評価した。

 1999年のドラフトで最後から2番目の全体57番目という遅い指名選手ながら、プレーオフで通算3000得点(3054)と300本以上の3点シュート(324)の両方をクリアしているのは今オフにキャバリアーズからレイカーズに移籍したレブロン・ジェームズ(33)とジノビリの2人だけ。ジノビリは2001年にイタリアのボローニャでユーロリーグ優勝を経験しており、2004年のアテネ五輪ではアルゼンチン代表として金メダルを獲得。同五輪準決勝では米国を89―81で下し、決勝では予選リーグで敗れていたイタリアを84―69で退けて初の金メダルを獲得した。

 五輪+欧州+NBAですべて頂点を極めたのは、元ニックスでその後政治家に転身したビル・ブラドリー(1964年東京五輪、1966年ユーロリーグ、1970、73年ファイナル)とジノビリの2人だけ。バスケットボールの歴史にも名を残す競技人生だった。

 スパーズではファイナル制覇にともに貢献したティム・ダンカン(42)がすでに引退し、トニー・パーカー(36)はホーネッツに移籍。2014年のファイナルでMVPとなったカワイ・レナード(27)もラプターズに移籍しており、ジノビリの引退で、黄金期を築いた選手が全員、名将グレグ・ポポビッチ監督(69)の下から去ることになった。

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