中村美里 五輪3度目も金には届かず…「重みある」けど「悔しい」

[ 2016年8月9日 05:30 ]

銅メダルを獲得した中村だが、涙がこぼれないように上を向いて歩く

リオデジャネイロ五輪・柔道女子52キロ級 3位

(8月7日 カリオカアリーナ)
 柔道の女子52キロ級では3大会連続出場の中村美里(27=三井住友海上)が7日、08年北京大会以来の銅メダルを獲得した。準決勝ではマイリンダ・ケルメンディ(25=コソボ)との世界女王対決に指導1の差で敗れたが、3位決定戦では地元ブラジルのエリカ・ミランダ(29)を延長戦で下した。初戦敗退に終わったロンドン五輪後に左膝の手術を受けてから復活。それでも目標に掲げてきた金メダルには届かず、三度目の正直とはならなかった。

 畳を降りるまですっかり顔色が抜け落ちていた。平静なわけではなかった。空っぽの心に悔しさが満たされると、中村の瞳に涙があふれた。「いろいろな人の支えがあってここまで来られた。いろいろな人の思いを乗せて戦って取った銅メダル。凄く重みのある銅メダルです」

 4年前にロンドン五輪で初戦敗退した時、中村は“支え”を失っていた。1つは左膝を支えるじん帯だ。09年に前十字じん帯を損傷したが、翌年に東京での世界選手権を控えていたために温存療法を選択。壊れた膝はどんどん無理が利かなくなっていった。

 ロンドン五輪後にじん帯の再建手術を受けたのも、あくまでも「普通の生活をするため」。引退を考えていた。北京五輪で銅メダルを獲得してから、一心不乱に金メダルだけを目指してきた4年間。その夢がかなわず、それでなお柔道を続ける心の支えは自分の中でのどこを探してもなかった。

 しかしリハビリ生活が競技を続けるきっかけを与えてくれた。スキーやサッカーなど他競技のアスリートに出会う中で、柔道の恵まれた環境に気づき、競技とのさまざまな向き合い方も気づいた。彼女たちの応援に出かけ、今度は自分が応援される番だった。引退するわけにはいかなくなった。

 「競技によってルールも違えば試合時間も違うし、その中での集中力の出し方も違う」。彼女たちからトレーニング法を学んだり、フェイントを組み手に生かせないかとボクシングにも実際に挑戦した。上野雅恵コーチは「手術をすると刈る力が弱くなる。それが戻ってきている。ロンドンの時とは体も足の粘りも全然違う」と話していた。膝の支えも、心の支えも万全だった。

 「いろいろな人に出会って、いろいろな経験をしてきた。柔道だけをやってきたロンドンまでで終わるより、またリオに挑戦できて良かった。北京の時よりも全然成長していると思う」。そのことを証明するためにも金メダルが欲しかった。

 ロンドン五輪後に世界女王の座を分け合ってきたケルメンディと初対戦した準決勝。相手のパワーに押されて開始26秒で受けた指導1つの差を詰められずに敗れた。「向こうのほうが一枚上だった」。3位決定戦では地元のミランダを延長戦で下してメダルだけは死守した。

 2大会ぶりの銅メダル。これまでの五輪との違いを問われると声を震わせて言った。「北京は実力差を感じたけど、今回はいろいろな経験をして成長した自分で勝てなかったのが悔しい」。頂点に届いたはずと思うからこそ悔しさが募る。中村の3度目の五輪が終わった。

 ◆中村 美里(なかむら・みさと)1989年(平元)4月28日、東京都八王子市生まれの27歳。渋谷教育学園渋谷高1年の05年、講道館杯と福岡国際の48キロ級で優勝し注目を集める。高校3年時に52キロ級に変更。三井住友海上に入社した08年、北京五輪で銅メダル。09年世界選手権で優勝した。12年ロンドン五輪は初戦で優勝したアン・グムエ(北朝鮮)に苦杯。同年10月、左膝前十字じん帯再建手術。14年アジア大会で金メダルを獲得、昨年の世界選手権でも3度目の優勝を果たした。1メートル57。得意技は小外刈り。

 ▽中村の北京五輪 2回戦から登場し、準決勝で北朝鮮のアン・グエムに指導を取られて敗戦。3位決定戦では韓国選手と対戦し、小外刈りからの上四方固めで合わせ技一本を奪い銅メダル。平成生まれの日本人選手としては初の五輪メダリストとなった。

 ▽中村のロンドン五輪 北京の雪辱を期したが、初戦となった2回戦でいきなり北京の準決勝で敗れたアン・グエムと対戦。谷落としで技ありを奪われた後、大内刈りで一度は技ありを取り返したが、有効に訂正される不運。結局、2度の相手指導を引き出したところで終了し、2回戦負けとなった。

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