白鵬32度目Vへの軌跡 来日15年「青白時代」から「青白冷戦」へ…

[ 2014年11月24日 09:00 ]

32回目の幕内優勝を飾った白鵬は大杯を口にし歓喜の表情
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 来日から15年目の29歳8カ月で偉大な記録に並んだ白鵬。緊急連載でその歩みを振り返る。初回は横綱昇進後、無敵を目指すようになった、あの男との確執を取り上げる。

 07年夏場所後。第69代横綱に昇進した22歳の白鵬へ、元横綱・大鵬の納谷幸喜氏(13年1月死去)がアドバイスを送った。「横綱になったら引退することを考えろ」――。それは、弱くなれば存在する価値がないということ。「当時は怖かった」と振り返る、大先輩の重い言葉を胸に白鵬の横綱人生は始まった。

 現在に続く、最強横綱への出発点は母国モンゴルの先輩横綱・朝青龍との確執だった。5歳年上の先輩は既に優勝20回で絶大な権力を誇示。だが同年夏、休場していた巡業中に母国でサッカーをしたことが判明し、翌秋場所から2場所連続休場した。その間に自身は連覇(4、5度目)。「青白時代」と呼ばれ始め、今後の土俵を2人が支えると誰もが予感した。

 当初は白鵬も先輩を立てていたが、次第に同じ横綱として個性がぶつかり合うようになる。そうした中で08年夏場所千秋楽で朝青龍にダメ押し、土俵上でにらみ合う「青白冷戦」が勃発。その直後、先輩の後援者が絡んだモンゴル巡業で決定的な“事件”が起きた。母国へは2人がそれぞれ別の便で出発。先に出た朝青龍の便は順調に到着したが、白鵬の便は天候悪化を理由に足止めされ到着に36時間もかかった。夜に開かれたモンゴル大統領主催の晩さん会に間に合わず、関係者の間では、事実上巡業を仕切っていた朝青龍の嫌がらせと噂された。以降、白鵬は先輩と一線を画す。幕下時代からの恩人・興禅寺住職・市川智彬さん(73)は「確かに目標だった存在でしたが、人間性は尊敬していなかった。朝青龍の性格は“動”だから、あなたは“静”でいなさい、とよく言った」と振り返った。

 その後は「あの男を超える」と優勝にまい進。朝青龍がケガで3場所連続休場した08年名古屋場所から3連覇(7~9度目)、その翌年からは直接対決で常に勝った。年3度の優勝(10~12度目)で史上最多の年間86勝も達成し「記録に初めて興味を持った」と言う。そして迎えた10年2月。朝青龍が不祥事で電撃引退。その瞬間から一人横綱となり、現役力士の「将軍」になることを決意。しかし、待っていたのは孤独で苦難の日々だった。(特別取材班)

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2014年11月24日のニュース