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金子達仁氏 釜本さん悼む…矢沢永吉にも負けないくらいの「すさまじいオーラ」

[ 2025年8月11日 05:00 ]

釜本邦茂さん死去

94年、Jリーグ最後の指揮を執り、選手たちと競技場内を一周するG大阪の釜本邦茂監督
Photo By 共同

 熊本に生まれ、高校、大学時代を東京で過ごし、いずれはスペインでプロになることを夢見ていた男が、ガンバ大阪への入団を決めた。なぜ縁もゆかりもない、およそ強豪とは言えないチームに?いぶかしがるわたしに、礒貝洋光は言った。

 「釜本邦茂に誘われたら、断れないっしょ」

 意外な言葉だった。高校最後の選手権で、PKを失敗しても表情を変えなかった男が、なにやら浪花節的なことを言っている。しかも、その対象が釜本邦茂だという。正直、まったく納得はできなかった。

 メキシコ五輪の記憶がないわたしにとって、釜本邦茂は旧態依然の象徴だった。晩年の彼と対戦した松木安太郎が、加藤久が「やっぱ化け物だわ、あのヒト」と漏らしているのを聞いても、その存在があまりにも突然変異すぎて、次世代が受け継げるもの、とは思えなかった。

 ただ、当時勤めていた専門誌のガンバ大阪の担当に立候補し、いざ本物の釜本邦茂と対面してみると、礒貝の言っていた意味が少しわかった気はした。

 すさまじいオーラ、だったのだ。

 ビッカビカ、なんてもんじゃない。後に取材させていただいた矢沢永吉さん、松本幸四郎(現白鸚)さんにも負けないぐらいのオーラが全身から発せられていた。なるほど、こんな人に「ぜひウチに」と頭を下げられてしまったら、断れるはずがない。

 もっとも、分かったのはあくまでも「少し」だった。確かにオーラは凄い。とはいえ、やっているサッカーはよく言えば選手の自主性を重んじる、悪く言えば選手に丸投げにしか見えなかった。サッカーのスタイルから細かい選手起用に至るまで、わたしは批判的な記事を書きまくった。

 監督の側からすれば、相当に煙たい存在だったことだろう。嫌う、遠ざける、なんだったら出禁にする……いろんな対抗策が可能だった。

 だが、釜本邦茂の反応は違った。

 あれは開幕年の第2ステージ、つまり後半戦のどこかだったと思う。試合後の記者会見が終わり、席を立った釜本監督がこちらに向かって手招きをしている。え?わたしですか?うろたえた。“対抗策”どころか直接の口封じに来たのか。冗談抜きに、そう思った。

 放課後の職員室に呼び出されるよりはかなり緊張して釜本監督のあとについていく。万博記念競技場のスタンド下だった。足を止めた釜本監督が言った。

 「どない思った?今日の試合」

 敵意はもちろん、わずかな怒りすら感じられない、穏やかな口調だった。むしろ、目の前の若造がどんな答えを口にするか、面白がっているようですらあった。

 精いっぱいの虚勢を張って、感じていたことすべてをぶつけてみた。静かに聞いていた釜本監督は、「そうか」とだけ言ってロッカールームに戻っていった。姿が見えなくなると、ヒザがガクガクと震えだした。

 改めて思う。あのとき、釜本邦茂に面と向かって怒りを叩きつけられていたら、わたしは簡単に叩き潰(つぶ)されていただろう。情けないことだが、以降、二度と批判的な記事がかけなくなっていたことも容易に想像がつく。

 批判的な記事であっても、自分なりの根拠が、信念があれば、伝わるものはある――初めてそう思わせてくれたのが、釜本邦茂だった。礒貝洋光がガンバを選んだ理由が、あのとき初めて、理解できた。大きな人、だった。(スポーツライター)

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