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釜本邦茂さん死去 JFA宮本恒靖会長「私のキャリアにおいて多くの影響を与えてくださった方」挑戦を誓う

[ 2025年8月10日 18:09 ]

釜本邦茂さん(2010年撮影)
Photo By スポニチ

 1968年メキシコ五輪銅メダリストで、日本サッカー界を代表するストライカーとして活躍した釜本邦茂さんが10日、大阪府内の病院で肺炎のため死去した。81歳だった。訃報を受け、日本サッカー協会(JFA)の宮本恒靖会長が追悼コメントを発表した。

 宮本氏は「釜本邦茂さんの訃報に接し、お悔やみを申し上げます。1968年メキシコオリンピックでのゴールや日本代表で歴代最多の75得点が示す通り、釜本さんは不世出のストライカーでした。同時に私のキャリアにおいて多くの影響を与えてくださった方でもあります。私がガンバ大阪ユース一期生としてプレーし始めた頃、その母体となった釜本FC出身の選手たちが持つ「ボールを止める・蹴る」技術の高さに驚かされました。釜本さんは指導の際にサッカーのベースとなる基本技術を大切にしていらしたと聞きました。その後プロになってからも釜本さんのキックの強さや正確性にまつわる逸話を耳にし、私も良い選手になろうと精力的にキック練習に励みました。JFA副会長を務められていた時期はちょうど私が日本代表でキャプテンを務めた頃と
重なり、ピッチの外側からチームをサポートしていただきました。また、私の引退後は、釜本さんが主催していた「釜本サッカー教室」に何度かゲストとして呼んでいただきました。2014年のことだったと思いますが、東京の駒沢競技場で「50年前の東京オリンピックの時にここでやった試合に出ていたんだよ」と、集まった小学生200名に話されました。生涯を通じて日本サッカーの普及、振興に努められている釜本さんのお姿に多くのことを学びました。サッカー日本代表はいま、釜本さんが点取り屋として君臨し、銅メダルを獲得されたメキシコオリンピック以来の快挙を目指し挑戦を続けています。釜本さんに良い報せをお届けできるよう邁進してまいります。釜本さんの生前のご功績に敬意を表すとともに、ご冥福を心よりお祈り申し上げます」と長文で偉大な先輩の旅立ちをしのんだ。

 釜本さんは京都府出身。2023年9月ごろから誤嚥(ごえん)性肺炎で入院。昨年の秋に手術を受け、一時、回復したものの療養を続け、6月中旬に容体が悪化した。

 Jリーグは「日本サッカー協会の元副会長の釜本邦茂氏はかねてから病気療養中でしたが、8月10日午前4時4分、大阪府内の病院で肺炎のため、逝去されました」と訃報を伝えた。

 そして「釜本氏は、元日本代表(1964~1977年)としてプレーされ、メキシコオリンピックでは7得点を挙げ、得点王に輝きました。2005年、日本サッカー殿堂に掲額。81歳でした」と故人の功績を伝え、「ここに謹んで哀悼の意を表し、お知らせいたします」としのんだ。

 なお、通夜、告別式は近親者のみで執り行う意向で、お別れの会の実施については後日案内するとしている。

 現役時代のハイライトは7得点で得点王にも輝いた1968年メキシコ五輪。1次リーグ初戦のナイジェリア戦でいきなりのハットトリックを決めた。そのうち2点は杉山隆一とのホットラインにより生まれたもの。毎日100本近くセンタリングを受けてシュート練習をしていたという、名コンビは世界の脅威となった。開催国メキシコとの3位決定戦で2得点をマークし、日本に初のメダルをもたらした。「3番目のポールに揚がった日の丸がまぶしく見えた」。普段はトロフィーなどは友人らにあげていたが、メキシコ五輪銅メダルだけは金庫で大事に保管したという。

 五輪をきっかけに世界からも高く評価されたが、W杯とは縁がなかった。1970年メキシコ大会のアジア予選では、ウイルス性肝炎で出場すらできず。1974年西ドイツ大会、1978年アルゼンチン大会の予選はいずれもケガに泣いた。

 W杯出場という悲願を達成できないまま、1977年に日本代表から引退。1978年からはヤンマーの選手兼監督として日本リーグ202得点という不滅の記録を樹立して、1984年に現役を引退した。

 引退後は、テレビ番組のキャスターや参議院議員など、多岐にわたって活躍。日本サッカー協会副会長などの要職を歴任、最近はサッカー解説や講演活動などを行っていた。

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