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Jリーグ野々村芳和チェアマン 釜本邦茂さんを追悼「数々の歴史的記録を樹立した偉大な先駆者」

[ 2025年8月10日 17:56 ]

Jリーグの野々村芳和チェアマン
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 1968年メキシコ五輪銅メダリストで、日本サッカー界を代表するストライカーとして活躍した釜本邦茂さんが10日に大阪府内の病院で肺炎のため死去した。81歳だった。訃報を受け、Jリーグの野々村芳和チェアマン(53)が追悼コメントを発表した。

 野々村チェアマンはJリーグを通じ「日本サッカー界の大先輩である釜本さんの訃報を、大きな悲しみとともに伺いました。私が言うまでもなく、釜本さんは、日本サッカーがまだプロ化する前、これから国際競争力をつけていこうとする草創期において、比類なき活躍によってその発展を牽引し、数々の歴史的記録を樹立した偉大な先駆者です」と釜本さんをしのんだ。

 その功績について「1968年メキシコオリンピックでは日本をアジア初の銅メダルに導き、釜本さんは得点王に輝きました。国際Aマッチにも76試合に出場し75得点を記録。現在も最多得点記録は誰にも破られていません。ヤンマーディーゼル(現セレッソ大阪)では202得点を挙げ、7度の得点王として日本サッカーリーグを牽引しました。常にフィールドで放つ圧倒的な存在感は、日本サッカーの可能性を世界に示し、プロリーグの夢を育み、後のJリーグやWEリーグの創設の原動力となりました」と紹介。

 続けて「悲願のJリーグ開幕に際しては、釜本さんはガンバ大阪の初代監督として、厳しい環境でクラブのプロ化の基盤を築き、同時に関西でのプロサッカーの文化の礎を築かれました。女子サッカーとの関わりは多くは語られていませんが、母校の大学の女子サッカー部が関西地域で試合を行う際にはみかん箱を抱えて必ず視察に出向くなど、女子サッカーの発展も心から願っておられたと聞いています」とした。

 「その後も日本サッカー協会副会長や2002年FIFAワールドカップ日本組織委員会の理事などを通じて日本サッカーの発展に尽力され、選手や指導者を引退されてからも放ち続けた強烈な存在感は、年代を超えサッカーファミリーの胸にいつまでも「不世出のレジェンド」として深く刻まれています」とし、「釜本さんが安心してお休みになられますよう、JリーグとWEリーグもまた、ともに理念の実現に向けて手を取り合い、日本サッカーのさらなる発展に尽くしたいと考えております。どうか安らかな眠りにつかれますよう、心よりお祈り申し上げます」と悼んだ。

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