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日本代表GK権田が守る アメフト河口氏の教え 大きな一歩生む「仙腸関節トレーニング」

[ 2022年6月22日 05:45 ]

11・21開幕 カウントダウン・カタール

河口氏(左)がオーナーを務めるトレーニングジム「JPEC SHIROKANE」で笑顔を見せる権田(河口正史氏提供)
Photo By 提供写真

 日本代表はW杯1次リーグでドイツ、コスタリカ、スペインと対戦する。各国にノイアー(ドイツ)、ナバス(コスタリカ)らスターGKがそろう中、自身初のW杯出場へ闘志を燃やすのが、森保ジャパンの絶対的守護神として君臨する権田修一(33=清水)だ。今回は15年から個人トレーナーを務める元アメフト選手でNFLにも挑戦した河口正史氏(49)に話を聞き、その進化に迫った。

 在籍クラブにかかわらず、権田がちょっとした時間を見つけては足しげく通うジムが東京都内にある。河口氏がトレーナーを務めるトレーニングジム「JPEC SHIROKANE」だ。

 河口氏は「世界に通用する日本人アスリートを育成したい」という思いから、15年8月に同ジムを設立。自らの経験を基に独特なトレーニング法を編み出し、今やプロ野球や陸上界のトップ選手も師事している。

 その独特なトレーニングこそが、権田の進化の秘訣(ひけつ)でもある「仙腸関節トレーニング」だ。仙腸関節とは、骨盤の仙骨と腸骨をつなぐ体の中で最も強いとされる関節。ミリ単位でしか動かない繊細な部位だが、可動域を広げて周辺の筋肉を使えるようになれば、体幹から最大限の力を発揮できるようになるという。

 河口氏によれば、日本人は元々、生活様式の影響もあり仙腸関節を使えていないという。最大の狙いは、同関節を自然と使いこなす欧米人らに負けないパワーを創出すること。GKで例えるなら、長身でパワーと俊敏性も兼ね備える選手の育成だ。世界基準のGKを目指す権田にとっても、願ったりかなったりのトレーニングだった。

 権田はジム創設時から河口氏に師事。試行錯誤を繰り返し、“二人三脚”で歩んできた。進化を示す明確なデータこそないが、河口氏は今と5年前の映像を比べ、動きが見違えるように良くなったと強調する。当初は「膝から」だった動き出しが、トレーニングで骨盤の動かし方が飛躍的に進化し「動き出しが速くなり、一歩が大きくなった。無駄な動きもなくなった」と語る。

 ジム設立から約7年。「そんな細かいところを手に入れるために、ここまで頑張るのか」と河口氏。権田はその進化を証明するかのように、W杯最終予選で日本史上最多の5戦連続完封を記録するなど活躍した。権田自身も「河口さんがいなかったら今の自分はいない」という。14年W杯はメンバー入りも出場なし。W杯初出場へ、カタール大会は積み上げてきたものを発揮する晴れ舞台となる。

 ≪完全マンツーマン指導受けられる≫「JPEC SHIROKANE」は、完全マンツーマン指導のパーソナルトレーニングが行え、早朝、深夜にも対応。「ビューティー」「ボディーメーク」「パフォーマンスアップ」「リカバリー」とプログラムも豊富で、90分間の体験トレーニングも実施。仙腸関節、肩甲骨を柔軟に動かすため、河口氏が提唱する「クワトロコア」と呼ばれる体幹部を4つの部位に分けたトレーニングが売りとなっている。

 ◇権田 修一(ごんだ・しゅういち)1989年(平元)3月3日生まれ、東京都世田谷区出身の33歳。FC東京の下部組織出身で、同クラブで09年J1デビュー。16年には本田圭佑が経営参画していたオーストリアのホルンに期限付き移籍し、17年に鳥栖、19年にポルトガル1部ポルティモネンセに完全移籍。21年に清水に加入。代表は各年代で選出され、U―23で12年ロンドン五輪に出場。A代表は10年1月のイエメン戦でデビューし、14年W杯ブラジル大会のメンバー。国際Aマッチは32試合出場。1メートル87、83キロ。利き足は右。

 ◇河口 正史(かわぐち・まさふみ)1973年(昭48)2月19日生まれ、兵庫県川西市出身の49歳。カリフォルニア州のサンクリメンテ高でアメフトを始め、帰国後に進学した立命大では94年に同大初の学生日本一に貢献。日本代表にも選出され、卒業後はアサヒビールに入社し並行してNFLヨーロッパに参戦。02、03年にはNFLの49ersのキャンプに参加し、「NFLに最も近づいた」と言われた。08年の引退後は、独自のトレーニングメソッドを世の中に普及すべくトレーナーとして活躍。

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