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【オシム氏を悼む】眼光の鋭さは日本代表時代と変わらなかった 2014年ボスニアでのインタビュー

[ 2022年5月2日 00:30 ]

2014年にボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボで取材した際のイビチャ・オシム氏(左)と大西純一特別編集委員
Photo By スポニチ

 1日に80歳で死去したイビチャ・オシム氏の晩年を取材したスポーツニッポン本紙の大西純一特別編集委員(64)が、2014年にボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボで取材した当時の様子を振り返った。

 オシムさんを実際に取材したのは14年6月上旬が最後になった。W杯ブラジル大会で特別観戦記を依頼し、打ち合わせを兼ねてインタビューもさせてもらった。ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボへ行き、自宅近くのホテルで会うことになった。

 車でやってきたオシムさんは少し痩せており、膝を痛めていて足を引きずりながらゆっくりと歩いていたが、眼光の鋭さは日本代表監督時代と変わっていなかった。日本代表の試合の映像を持参したが、衛星放送などで可能な限り見ていてよく知っていた。言葉は少なかったが、重みがあった。サプライズでFW大久保嘉人がW杯メンバーに入ったが、「切り札として使え」と力説していた。その通りに切り札どころか攻撃の中心として大久保はフル回転し、オシムさんの眼力の高さに驚かされたものだ。さらに本田圭佑にも「もっと守備をするべきだ」などとズバズバ指摘し、オシムさんらしい核心を突く提言をしてくれた。

 07年に脳梗塞で倒れて日本代表監督を退任したが、病気はすっかり克服していることが感じられ、サッカーに懸ける情熱も戻っているように感じさせられた。

 サラエボへは関係者から「うなぎと日本酒が好物」と聞いて、真空パックのうなぎと日本酒を手土産にした。受け取ったオシムさんがにやりと笑った記憶がある。うなぎは日本に来て味を覚えたもので、サラエボではなかなか食べられないだけに喜んでくれたと思う。

 この頃は「定期的に病院に通っている」と言っていたが、膝の治療が主で、脳梗塞の治療は定期健診程度だった。インタビューと打ち合わせが終わり、最後に記念撮影をお願いしたが、快く応じてくれた。改めて見ても鋭い目が印象的、今後も世界のサッカーににらみを利かせてくれると思う。
(編集委員・大西 純一)

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