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マラドーナ伝説は永遠に…サッカーボールのような光と陰に彩られた60年

[ 2020年11月27日 05:30 ]

ディエゴ・マラドーナ氏死去 ( 2020年11月25日 )

アルゼンチン代表として94年アメリカW杯に出場したマラドーナさん
Photo By スポニチ

 <伝説の始まりとW杯制覇>マラドーナ伝説の始まりは1976年10月20日だった。アルヘンティノスでアルゼンチン1部史上最年少の15歳356日でプロデビュー。相手選手の股下を抜くパスを成功させて観客を熱狂させ、後に「あの日、我が手で空をつかんだ気分だった」と振り返った。

 ボカ・ジュニアーズ、バルセロナを経て、84年6月に当時世界最高峰だったイタリア・セリエAのナポリに移籍。86~87年初のリーグ優勝とイタリア杯制覇の2冠に貢献。89~90年には2度目のセリエA制覇を果たし、貧困と犯罪にあえぐ街の英雄になった。

 そして、後世まで語り継がれる伝説を打ち立てたのが86年W杯メキシコ大会。準々決勝イングランド戦での「神の手」と「5人抜き」の2ゴールが、アルゼンチンの「10番」を史上最高のサッカー選手たらしめた。

 後半6分、相手GKと浮き球を競ると、ヘディングのふりをして左手でボールに触り、ゴールに入れた。審判団はこの反則に気付かず先制点に。試合後、批判されると「ちょっぴりマラドーナの頭、ちょっぴり神様の手」とけむに巻いた。

 その4分後に自陣でボールを受けるとドリブルで突進。GKを含む相手選手5人を抜く約60メートルのドリブルから2点目を決め、今もW杯史上最高のゴールと言われる。この勢いで頂点に立ち、文字通り「マラドーナの大会」となった。

 <激太り…酒と女とドラッグと>世界中のファンをとりこにした輝かしい経歴の一方で、影の部分もあった。「92年に欧州で初めて試した。(当時の)サッカー界にはどこでも薬物があったから。俺は薬物中毒だった」と後に語ったように、82~84年のバルセロナ時代から薬物使用が噂されていた。ナポリ時代の91年にドーピング検査でコカイン使用が発覚。同年アルゼンチン帰国後にコカイン所持で逮捕された。94年W杯ではドーピング違反で追放処分を受けた。

 97年の引退後もコカイン中毒、アルコール依存に苦しみ、体調を崩した。00年にはウルグアイで高血圧と不整脈で入院。04年にも高血圧と拡張型心筋症で入院した。この時は集中治療室に入るほどの重体で、危篤説も流れた。暴飲暴食で体重は一時130キロにも達し、05年には胃の縮小手術を受けた。

 女性関係も派手だった。87年にイタリア人女性が「マラドーナの子を産んだ」と告白。当時、婚約者がいたマラドーナは否定したが93年に認知した。女児2人をもうけた同郷のクラウディアさんと89年に結婚したが、03年に離婚。52歳だった13年には恋人のベロニカ・オヘダさんとの間に男児が誕生したが、すぐに破局した。19年にはキューバの2人の女性との間に3人の子供がいることが判明し、子供は計8人と伝えられた。複雑な関係の親族が財産を巡って対立しており、マラドーナ氏の死後も骨肉の争いが繰り広げられそうだ。

 <“英雄の帰還”母国率いて5度目のW杯>引退後のハイライトはアルゼンチン代表を率いて臨んだ10年W杯南アフリカ大会だった。健康問題を克服して08年11月に母国の代表監督に就任。大会直前合宿では自ら練習にも交じってチームの一体感を高め、選手の部屋には「できると夢を見れば必ずできる」と張り紙をして鼓舞した。大会中に23歳となったFWメッシ(バルセロナ)は「ディエゴが選手にやりやすい環境をつくってくれる」と語り、マラドーナ監督は「優勝するために必要なものを全て持っていると自覚している」と背番号10の後継者に期待。天才師弟コンビで頂点を目指した。

 1次リーグB組はナイジェリア、韓国、ギリシャに3連勝し、1位通過。ベンチ前で見せるコミカルで派手なリアクションも話題となった。決勝トーナメント1回戦もメキシコに3―1と快勝して8強入りを果たした。

 準々決勝の相手は因縁のドイツ。その大一番の直前にメッシは風邪で体調を崩して練習を欠席。チーム10点中6点に絡んだ絶対エースはドイツを相手に精彩を欠き、チームは0―4で大敗した。

 指揮官は試合後「今まで経験した中で一番大きな打撃。まるでムハマド・アリにパンチを浴びたようだ」とショックを表現。「明日にも辞めるかもしれない」と辞任を示唆していたが、大会直後に解任されると「うそつき」「裏切られた」と協会幹部を非難した。

 ◆ディエゴ・マラドーナ 1960年10月30日生まれ、アルゼンチン・ブエノスアイレス出身。9歳で地元アルヘンティノスの下部組織に入り、76年に15歳でプロデビュー。ボカ・ジュニアーズを経て欧州ではバルセロナ、ナポリ、セビリアで活躍。母国のニューウェルズ、ボカ・ジュニアーズでプレーし、37歳の誕生日だった97年に現役引退。77年に16歳でアルゼンチン代表入りし通算91試合34得点。W杯は4大会に出場し21試合8得点。00年にFIFAが元ブラジル代表ペレとともに「20世紀最高の選手」に選出。1メートル65、利き足は左。

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