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G大阪アカデミースカウト・中山悟志氏 成長の物差しは強いメンタルを持っているかどうか

[ 2020年8月19日 16:25 ]

2008年、熊本時代の中山悟志氏
Photo By スポニチ

 がっちりした体形に“スキンヘッド”。一見すると怖い人のように映る。だが子どもたちを見つめるまなざしは優しい。2015年限りで現役を引退し、16年からG大阪のアカデミースカウトを務める中山悟志さん(38)はこう言いながら笑った。

 「“しくじり先生”と書いてくださっても結構ですよ」

 鵬翔高(宮崎)から00年にG大阪へ入団。02年にはトゥーロン国際大会と釜山アジア大会で得点王にも輝いた。「ゴン」の愛称で知られるFW中山雅史(現J3沼津)と同じポジション、同じ名字から付いた異名は“浪速のゴン”。一世を風靡(ふうび)したが「そこから先に行ききれなかった」。

 レギュラー獲得には至らず、08年に熊本へ移籍。10年途中に水戸に加入し、その後はJFL時代の長崎や琉球にも在籍した。プロでの15年間。現役時は常に100%でトレーニングをしていたつもりだった。「長くサッカーができたことに感謝」と言う。ただ心残りがないわけではない。

 「運やパフォーマンスを発揮できる環境をつかむのも自分自身。自分は厳しくなかったというか、甘い部分もあった」

 だから育成世代のスカウトやセレクションを行う現在、中山さんは技術とともに「強いメンタルを持っているかどうか」を選手を見極める要素の一つにしている。そして自分の経験だけではなく、一緒にプレーした選手の姿勢も“物差し”にしている。

 「例えばアラウージョやマグノ・アウベス。彼らのゴールに対する執着心や勝負にこだわる姿はすごかった。ヤットさん(遠藤保仁)も智さん(山口智コーチ)もそうだけど、違うポジションの選手でもメンタリティーが強い選手は成長度合いも大きいと思います」

 中山さんが在籍した頃のG大阪は、ちょうど強豪への道を突き進んでいる最中。当時のクラブの熱量は今も感触として残っている。レギュラーは奪えなかったが、未来のG大阪を担う子どもたちをセレクションするうえで大きな経験となっていた。

 スカウト職は選手を入団させれば終わりではない。現在は中学生年代専任の中山さんには忘れられない出来事がある。

 琉球に所属していた15年秋。G大阪の二宮博普及部長から電話がかかってきた。「来年はどう考えている?帰ってきて一緒に仕事いないか?」。二宮部長は、鵬翔高から中山さんをG大阪にスカウトした人物だった。「それまではボロボロになるまで現役を続けようと思っていたけど、その時、初めてセカンドキャリアについて考えた」。選手としてスカウトされ、引退後の職でもスカウトされた。チームを離れても気に掛けてくれた人物の存在の大きさを知り、その重要性に気づいた。

 「僕は監督やコーチとは立場が違うので、僕なりにできるサポートはしています」

 プレー面での指導をすることはない。意識するのは人間形成の部分を育む部分。思春期を迎え、子どもから大人へと変貌していく過程なだけに、押しつけではなく子供自らに気づいてもらうように促す。そして話の流れの中で自らの経験を、冗談を交えつつ時に真剣に語ることもあるという。

 「やはりプロになって活躍できるのは一握りなので。言葉には気を使いますが、良いことばかりをいうのが子供のためになるとは思わない。時には厳しいことも言いますよ」

 新型コロナウイルス感染症拡大の影響を受け、当初予定していたセレクションは後ろ倒しになった。だが、中山さんは自ら培った人脈を生かし「迷惑を掛けないように」若きタレントの発掘にいそしんでいる。

 「将来のG大阪を担う子ども、そして日本代表になって日本サッカー界を引っ張ってくれる子どもを見つけるのが今の目標です」

 反省ばかりの現役生活を送った。だが“しくじった”からこそ見えるもの、伝えられることがある。J屈指のアカデミーを持つクラブのDNAはこうして継承されていく。(飯間 健)
 
 ◆中山 悟志(なかやま・さとし)1981(昭56)年11月7日生まれ、宮崎県宮崎市出身の38歳。鵬翔高からG大阪入団。2001年6月23日の広島戦でJ1デビュー。J1通算100試合10得点。1メートル84、79キロ。

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2020年8月19日のニュース