城彰二氏&中田浩二氏、五輪延期は「プラス」U24代表、延びたからこそできる強化策

[ 2020年4月8日 07:00 ]

1年延期でどうなるサッカー五輪代表【上】

(左から)城彰二氏、中田浩二氏
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 新型コロナウイルス感染拡大の影響で東京五輪が1年間開催延期された。母国開催で1968年メキシコ五輪以来のメダルを狙うU―23サッカー日本代表はどうなるのか?その展望を3回にわたって連載する。初回は96年アトランタ五輪出場経験がある城彰二氏(44=元日本代表FW)と00年シドニー五輪に出場した中田浩二氏(40=元日本代表DF)のスポニチ本紙評論家2人が、持論を交わした。(構成・大西 純一)

 ――東京五輪が1年延期になった。

 城 アスリートにとって1年は長い。今年7月に向けて準備してきているので。体も気持ちもつくり直さなければならないのは厳しい。ただ、1月のU―23アジア選手権で結果が出せず(※注)、あの状態で7月に本大会だったらいい結果は出なかったと思う。連係面やメンバー選考など時間ができたことはプラスだ。

 中田 延期は仕方がない。アピールの場が増えてプラスになる選手がいる半面、外れる選手も出る。森保監督もA代表と兼任のままなら選手をもう一度見られる。チームとしての連係は高められる部分もあるが、終息しないと代表の練習も試合もできない。環境的にもメンタル的にも難しい厳しい状況だと思う。

 ――年齢制限は、U―24に落ち着きそうだ。

 城 U―23とU―24ではメンバーが全く変わる。U―24なら今までやったことの積み上げでいいが、U―23なら誰を軸にするかなど、編成が難しくなるところだった。

 中田 東京五輪を目標に数年間、頑張ってきたのだからU―24にしてほしいと思っていた。ただ、時間ができて次のパリ五輪を見据えていた選手にもチャンスが出てきた。若い選手は伸びしろがあり、新発見もある。競争が熾烈(しれつ)になり、チームのレベルが上がるので競争が楽しみ。

 ――今年東京五輪を戦ったメンバーを秋から日本代表に融合させてW杯アジア最終予選に入るプランは崩れた。

 中田 東京五輪の後にW杯があるのは変わらない。どう組み込むか日本サッカー協会と森保監督が整理する必要がある。まずはA代表だが、コーチの役割分担や共通意識を高めていけばいい。A代表もU―23代表もある程度メンバーが固まりそうなところまで来ていたが、新たな競争が起こって安心感を危機感に変えてほしい。

 城 A代表に五輪世代の選手を呼んで経験を積ませることができる。レベルアップして五輪に戻すこともできる。監督が兼任なら一貫性を持ってやれるのでいろいろなことができる。

 ――城さんはアトランタ、中田さんはシドニーと2人とも五輪出場の経験があるが。

 城 当時はW杯に出たことがなかったので「五輪で勝負して世界へ」と考えていた。世界に自分の存在を発信したり、世界との差を知るためにも重要だった。実際「こういう選手がいるんだ」とか「こういうことは通用したな」ということを肌で感じられた。(五輪に)出たことでいろいろなことが見えたし、名前も残って財産になり、人生の分岐点になった。

 中田 五輪に出られたのは光栄だし、23歳以下のW杯みたいなものでそのときの経験は大きかった。自分がどれだけできるか知ることができ、A代表、W杯へ向けてモチベーションになった。

 ――今振り返って、五輪に出るために何が重要だったか。

 城 選考レースを勝ち抜かないと出られないのでモチベーションは高かった。ただ、日本は五輪に28年間出ていなかったので、当時は五輪そのものの位置づけはあまり分からなかった。

 中田 年代別の大会を経験していたので、資格があるなら入りたい、結果を残したいと思った。そこを足がかりにA代表に入りたかったし、五輪代表になればA代表に近づける。そういう思いだった。同世代の選手と競争し、狭き門をいかにくぐり抜けるかという意識だった。そこは今も変わっていないと思う。

 ※注 20年1月のU―23アジア選手権 日本代表は初戦だったサウジアラビア戦で唯一の海外組だったFW食野(ハーツ)が一時同点となるゴールを決めたものの、1―2と競り負け。シリアとの第2戦も1―2で落とし、同大会では史上初の1次リーグ敗退が決定した。カタールとの第3戦はFW小川(J2磐田)のゴールで先制したが、後半、PKを献上し、ドロー。1分け2敗と1勝もできずに終わった。

 《ブラジルに金星 マイアミの奇跡》▽96年アトランタ五輪での城彰二 西野朗監督の下、不動の1トップとして最終予選5試合で3得点。銅メダルを獲得した68年メキシコ大会以来、28年ぶりの五輪出場に導いた。迎えたD組初戦のブラジル戦は1―0で勝利。0―0の後半27分に味方クロスに反応した城が相手GKと交錯し、こぼれ球から決勝点を演出した。日本はリーグ2勝1敗でブラジル、ナイジェリアと勝敗で並び、得失点差の3位で敗退したが、サッカー王国を下した大金星は「マイアミの奇跡」と呼ばれた。

 ◆城 彰二(じょう・しょうじ)1975年(昭50)6月17日生まれ、北海道室蘭市出身の44歳。鹿児島実から94年に市原(現J2千葉)入団。横浜を経て、00年からスペイン1部バリャドリードへ移籍。横浜復帰後、神戸を経て06年横浜FCで引退。日本代表では96年アトランタ五輪、98年W杯フランス大会に出場。Jリーグ通算381試合139得点。国際Aマッチ通算35試合7得点。

 《黄金世代で8強》▽00年シドニー五輪の中田浩二 前年の世界ユース(現U―20W杯)ナイジェリア大会準優勝の「黄金世代」を中心に8強入り。トルシエ監督の3バックの代名詞「フラット3」の左として3試合全てに先発出場し、32年ぶりの決勝トーナメント進出に貢献した。ただ、1次リーグ第3戦のブラジル戦で腰部を強打し、準々決勝の米国戦を欠場。チームはPK戦の末に敗退した。

 ◆中田 浩二(なかた・こうじ)1979年(昭54)7月9日生まれ、滋賀県大津市生まれの40歳。帝京を経て98年鹿島入団。海外では05年からマルセイユ(フランス)、バーゼル(スイス)でプレー。08年7月に鹿島復帰し、14年を最後に現役引退した。日本代表では00年シドニー五輪、02年W杯日韓大会、06年W杯ドイツ大会に出場。Jリーグ通算266試合33得点。国際Aマッチ通算57試合2得点。

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