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ロシア代表・川口ペア、自己ベストで3位発進!

[ 2010年2月16日 06:00 ]

ペアSPで3位につけたロシアの川口悠子、アレクサンドル・スミルノフ組

 ペアのショートプログラム(SP)が行われ、ロシアに国籍を変更した川口悠子(28)、アレクサンドル・スミルノフ(25)組は、ペアとしての自己ベスト73・92点を塗り替える74・16点で3位発進となった。ロシア勢13連覇を目指し、15日(日本時間16日)のフリーで逆転を狙う。中国の申雪(31)、趙宏博(36)組(中国)が、2人の持つ世界歴代最高を更新する76・66点でトップに立った。

 ロシア国旗と日の丸の旗が揺れる観客席を見上げた川口が、充実の笑顔で声援に応えた。初優勝を果たした1月の欧州選手権での自己ベストを上回る74・16点。五輪の初舞台を笑顔で滑り終え、メダルへの期待が高まるSP3位につけた。
 「やっとスタート地点に立てた。きょうの時点では満足。(モスクビナ)コーチからは“合格です”と言われた。きょうは演技を楽しめた」
 サンサーンス作曲の名曲「白鳥」の美しい調べに乗って、軽やかに舞った。スミルノフと並んで跳ぶ3回転ジャンプを決めてリズムに乗ると、滞空時間の長いスロー3回転ジャンプ、息がぴたりと合ったスピンで観客を魅了した。
 98年長野五輪でロシアのペアの演技に感動し、ロシア人コーチのタマラ・モスクビナ氏に弟子入りを志願。翌99年に日本を離れた。ロシア人のマルクンツォフ、米国人のパトリックとのペアを経て、06年5月から現在のスミルノフとペアを組み力を伸ばしてきた。だが、国籍の違うペアは世界選手権には出場できても、五輪には出場できない。夢の五輪のため、昨年2月にロシア国籍を取得した。昨年12月のロシア選手権で優勝して初の五輪切符をゲット。今年1月に欧州選手権を初制覇してバンクーバーへの自信を深めた。
 SP首位の中国ペアとは2・50点差。15日(日本時間16日)のフリーでは大技、スロー4回転サルコーに挑むかどうかが焦点となるが、川口は「やりたい気持ちはいつもある。あしたはしっかり、クリーンに滑るだけ」と気合を入れ直した。旧ソ連時代の64年インスブルック(オーストリア)大会から五輪のペアはロシア勢が12連勝中。日本の期待を背負い、そして第2の祖国ロシアのプライドを懸けて、勝負のフリーに挑む。

 <フリーは最終Gトップ>滑走順の抽選の結果、川口組は最終グループのトップで滑ることが決まった。ライバルの出来を見て作戦を決めることはできなくなったが、モスクビナ・コーチは4回転に挑戦するかどうかについて「ロシアでは夜は悩まずに、朝起きてから考えろということわざがある」とかわした。川口も「まず食事をして、クリアな頭で考える」と明言を避けた。

 ◆五輪と国籍 競技者の国籍について、五輪憲章には「競技者のエントリーをする国内オリンピック委員会の国の国民でなければならない」との原則がある。ただ、細則で(1)2つ以上の国籍がある場合は自己で判断できる(2)ある国を代表して大会に出場し、その後国籍変更した場合は3年以上経過すれば五輪に出場できるほか、競技団体などの同意があれば期間を短縮・解消できる――とされている。海外代表として五輪に出場した日本人としては、フィギュアのペア米国代表として井上怜奈が06年トリノ五輪で7位。バレーボール女子のヨーコ・ゼッターランド(本名・草野陽子、旧姓堀江)が、米国代表として92年バルセロナ五輪で銅メダルを獲得した例がある。

 ◆川口 悠子(かわぐち・ゆうこ)1981年(昭56)11月20日、愛知県出身の28歳。5歳でスケートを始め小学3年で本格的に競技を開始。シングルでは98年にジュニアGPシリーズのメキシコ杯で優勝。千葉・市立船橋高卒業後の99年に渡米して、ロシア人のモスクビナコーチに師事しペア転向。01年にシニアに転向し、06年5月にスミルノフとペア結成。09年2月にロシア国籍取得。同年ロシア選手権優勝で五輪代表に初選出。身長1メートル57でスミルノフとは26センチ差。体重38キロはバンクーバー五輪出場選手中、最軽量。

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2010年2月16日のニュース