【日本ダービー】榎本助手「優駿」に縁―ジャスタで父の雪辱を

[ 2019年5月21日 05:30 ]

元厩務員 田井秀一記者が迫る ホースマンシップ(2)

榎本助手にピタッと寄り添うアドマイヤジャスタ
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 全休日の月曜日。日本ダービーを前にしても、この日ばかりは栗東トレセンにも穏やかな空気が流れる。須貝厩舎で顔を合わせたのが、アドマイヤジャスタを担当する榎本優也助手。偉大なる父ジャスタウェイの名を受け継いだアドマイヤジャスタ同様、榎本助手もその名に宿命づけられた人生を送る。競馬好きの父に連れられ、幼少期から阪神、京都、福島、新潟など各地の競馬場が“遊園地”代わりだった。父から「騎手になれば?」と言われたことも。自身の名前が「優也」で、弟が「駿也」。兄弟合わせて“優駿”となる。日本ダービーの正式名称は「東京優駿」で、生まれついてダービーとは縁があったのかもしれない。

 実際、09年にトレセン入りしてから11年目。今回のアドマイヤジャスタで、自身の担当馬がダービーに出走するのは実に4頭目だ。「ホースマンにとって特別なレース。本馬場入場前の地響き、大歓声は他のレースとは段違い。今思い出すだけでも鳥肌が立ちます。今年も楽しみを持って、ダービーを迎えられて幸せです」。最高峰の舞台に参加できる喜びをかみしめる。

 初めてのダービーは7年前。ジャスタウェイとともに挑んだ。結果は11着。「体質の弱い馬ではあったんですが、思い返せばもっと僕にできることがあった」と今でも後悔が残る。のちに海外を含めG1を3勝し、レーティング世界一となる同馬だが、ダービー時はフォームが未完成。「“こういう時はこうすればいい”という引き出しがまだ少なかった」と最大限の力を引き出すことはできなかった。

 だからこそ、デビュー時から担当する“息子”とつかんだリベンジの機会に燃えている。「性格はおとなしくて親子でそっくり。お父さんはダービーに参加するだけで精いっぱいだった。この馬もまだまだ成長段階ですが、同時期で比較すると調教ではよりいい動きをしています」。父を知るからこそ、感じる手応えがある。

 ◇榎本 優也(えのもと・ゆうや)1981年(昭56)8月10日生まれ、大阪府吹田市出身の37歳。チャンピオンズファーム、三城牧場、グリーンウッドを経て、09年5月のトレセン入りから須貝厩舎一筋。主な担当馬にイモータル、コレクターアイテムなど。

 ◆田井 秀一(たい・しゅういち)1993年(平5)1月2日生まれ、大阪府出身の26歳。阪大法学部卒。野球漬けだった高校卒業後に、道営・斉藤正弘厩舎に所属。厩務員として、引退後の98年菊花賞3着馬エモシオンに乗馬したのが自慢。大学時代はラジオNIKKEI第2の「中央競馬実況中継」でアルバイト。スポニチ入社後2年間はスポニチアネックス記者として芸能を中心に取材し、今年4月から中央競馬担当。

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2019年5月21日のニュース