【日本ダービー】松永幹師 リオンリオンで調教師として初ダービーに「ワクワク」

[ 2019年5月21日 05:30 ]

青空の下、初めて日本ダービーに送り出すリオンリオンとツーショットの松永幹夫調教師(撮影・亀井 直樹)
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 「ミッキー」の愛称でジョッキー時代にアイドル的な人気を集めた松永幹夫調教師(52)が、トレーナーとしてダービーに初挑戦する。送り込むリオンリオンは前哨戦の青葉賞を逃げ切り、大舞台の切符を手にした。ジョッキー時代のダービーは、97年1番人気メジロブライトの3着が最高。調教師として、悲願のタイトルを狙う。

 ジョッキーから調教師に転向して10年以上たったが、端正なマスクから発する優しい口調は変わらない。松永幹師にとって、令和元年の今回がトレーナーとして挑む最初のダービー。トライアル青葉賞を逃げ切ったリオンリオンを送る。

 「やっと、ですね。(出走権を獲って)決まった時点から楽しみだし、ワクワクしていますよ。出走できるのは幸せなことです」

 ホースマンなら誰もがあこがれる舞台。指揮官はジョッキー時代、ダービーに10回騎乗。97年メジロブライトは1番人気だったが、逃げ粘るサニーブライアンに届かず3着に敗れた。「一番強いと思っていた。自信を持って乗っていたんだけどね」と振り返る。

 02年に騎乗したメガスターダムは、所属した山本正司厩舎の管理馬。師弟コンビで挑んだダービーだった。ゴール前強襲して勝ち馬タニノギムレットに迫るも4着。「ギアの入りが遅くて。加速し出したと思ったらゴールだった」

 ジョッキー時代の無念を晴らすチャンスが、ようやく訪れた。リオンリオンは当歳セレクトセールで9072万円(税込み)の高額で落札された逸材。「(競りの)下見で初めて見た時に、いい馬だな…と。オーナーには無理して買ってもらった。期待していた馬だし、ダービーに出せるのは幸せなこと」とかみしめる。

 「性格も良くて、気性もいい。見栄えのする馬。男前でカッコいいよ」というイケメンぶりはトレーナー譲りかもしれない。

 「今があるのも先生のおかげ」と慕う師匠、山本元調教師は、16年の12月にこの世を去った。「ボクが調教師になってからも応援してくれて。連絡をくれたり、厩舎にもきてくれていました」と懐かしむ。こんな会話も思い出した。

 「よく言われたのが、おまえは1000勝以上したかもしれないが、ワシはダービージョッキーだからな…と。そう言われたら、ハイというしかない。それだけで全てが終わってしまいます(笑い)」

 ダービーの称号は、それだけ偉大。師匠はジョッキーだった1965年(昭40)、伝説の名馬キーストンでダービーを逃げ切った。くしくも、指揮官にとって初めて挑むダービーも同じ逃げ馬だ。

 そして調教師と騎手の絆は、時代に受け継がれる。騎乗予定の横山典が騎乗停止となり、リオンリオンの鞍上には横山典の息子である横山武史を起用する。ただ両者が親子であることは関係なく「オーナーから若手でいこうと。腕を買っての起用です」と、松永幹師は信頼して手綱を託す。横山武は「青葉賞は横山典らしい逃げ切りでした。ダービーでは横山武らしい、馬に合った乗り方で」と意気に感じている。この抜てきもまたダービー史に残る予感がする。

 ◆松永 幹夫(まつなが・みきお)1967年(昭42)4月10日、熊本出身の52歳。1986年に騎手デビュー。中央競馬発足後初の天覧競馬となった05年天皇賞・秋をヘヴンリーロマンスで優勝、JRA・G1は6勝。06年2月に引退、JRA通算12416戦1400勝。調教師に転向した07年以降はJRA3266戦331勝。平地G1は09年秋華賞(レッドディザイア)、17年阪神JF(ラッキーライラック)の2勝。

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2019年5月21日のニュース