梶光夫 多彩な趣味 彩り豊かに 輝く人生を 歌手から世界的ジュエリーデザイナーに転身

[ 2024年5月3日 05:00 ]

趣味の油絵を披露する梶光夫(撮影・沢田 明徳)

 【だから元気!】著名人に健康や元気の秘訣(ひけつ)を語ってもらう企画「だから元気!」。今回は1960年代に「青春の城下町」などのヒット曲で一世を風靡(ふうび)した歌手で、現在は世界的ジュエリーデザイナーとして活躍する梶光夫さん(79)です。きらびやかな宝石のように輝く人生の元気の源は、ドラムや油絵など多彩な趣味にありました。

 芸能界に入ったのは1960年にデビューした橋幸夫さんがきっかけです。学生服で歌う姿に憧れて。僕は63年に日本コロムビアに入ったんですが、日本クラウンができて北島三郎さんら人気歌手が引き抜かれ、1年でデビューすることになりました。当時は歌謡界が一番華やかで、僕の現役は5年くらいでしたが、レコードは30枚以上出ました。3年目くらいには十二指腸潰瘍にもなりましたね。大人の世界や芸能界に対応する力がまだなかったんですね。僕より歌が上手な人がたくさんいて、一番になれなかったことが良い意味で今へのいいステップになっています。

 大好きな絵やドラムは頭の健康ですね。絵は体を使うわけではないけれど、頭を使います。描こうとしているもののバランスが合っているかとか、色をもう少しこうした方がいいとか考えるのが面白い。水彩画には描き直せない一発勝負の良さもあります。それはそれでいいんだけれど、油絵は加筆することができる。何回も何回も上から描き換えることができて奥行きが出る。6、7年前に始めたけれども、今は油絵の方が楽しい。先生には「10回塗ると奥行きが出る」と言われていて、できるだけ10回塗りでやっています。1作の制作期間はだいたい2、3カ月。年に5、6作描いてます。

 筆を使うことだと、習字もやってます。ジュエリーのお客さんに中国の方も多いんですよ。買ってもらった時、名前や一言、お礼を書く際に下手だとマズいかなと思って、4年ほど前に始めました。

 ドラムは芸能界にいた頃から。ワンマンショーで歌だけだと時間が持たないから、寸劇やドラム演奏も入れてたんです。当時から好きでした。ジャズのスタンダードナンバーの「シング・シング・シング」とか、米国のドラマー、バディ・リッチが好きです。昔はドラムセットで叩くと近所迷惑になるからスタジオに行っていたけど、今は電子ドラムがある。音を絞ればいくらでもできますから便利です。年を取ると手と足が思うように動かなくなってくるけれども、ドラムはそれを補うのにいいです。

 ジュエリーデザインも手描きです。同じ曲線でも、人間の手で描く曲線と物を使って描くのとではやっぱり違う。ちゃんとしたラインには人間の心が入る。自分で描く線は、凄く個性が出るから大切なんですよ。

 10年ほど前に再び歌い始めたけど、こうして年に何回か歌えるというのはいいなと思います。いつまでもシャキッとしていたいですし、人前に出ることで精神も若くなります。僕は今、美術館に残るジュエリーを作っているのですが、これからも自分を大切にして、残していける物を作っていきたいですね。

 ≪購入者へのお礼はこだわりの手書き≫梶はジュエリーを購入した人に手紙を書くことを心がけている。一時は書き過ぎて腱鞘(けんしょう)炎になったという。手書きにこだわる理由は父の教えにあった。「“売っておしまいと逃げる人も多いけれども、自分が自信を持って売った物はお礼を書かないといけないよ”と父から言われて、ずっと実行しています」。こうしたまめな姿勢が日本を代表するジュエリーデザイナーとしての躍進を支えているのかもしれない。

 ◇梶 光夫(かじ・みつお)1944年(昭19)9月9日生まれ、大阪府出身の79歳。時計、宝石などを扱う大阪市の「スイス時計店」の長男として生まれる。64年に「黒髪」で歌手デビュー。翌年に「青春の城下町」がヒット。主演ドラマ「若いいのち」など映像作品でも活躍。70年に芸能界を引退し、宝飾デザイナーに転身。日本ジュエリー協会理事も務めた。2013年に45年ぶりの新曲「ひとつぶの愛」を発売。

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