富永一朗さん 戦後まもなくは小学校教師、評論家酷評も愛される

[ 2021年5月23日 05:30 ]

「お笑いマンガ道場」に出演していた富永一朗さん(中京テレビ提供)
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 お色気の利いた風刺漫画で人気を集め、日本テレビ「お笑いマンガ道場」の解答者としてお茶の間に親しまれた漫画家の富永一朗(とみなが・いちろう)さんが5日午後3時20分、老衰のため死去した。96歳だった。

 戦前の台湾で教職免許を取得し、現地で教鞭(べん)を執った経験を持つ変わり種の漫画家。戦後の混乱で一時放浪生活を送り帰国。故郷の大分県佐伯市の小学校で理科と図工の教師となった。当時の生徒には、広島で内野手、監督を務めた阿南準郎氏がいる。先輩教師の目を盗んで、漫画を執筆。出版業界の復興とともに、漫画家になる夢を持ち、51年に上京した。

 貸本漫画を描きながら、出版社に投稿を続けていた58年、ギャグ漫画の大家・杉浦幸雄氏に才能を認められ「漫画サンデー」で連載を開始。週刊誌の創刊ブームが追い風となり、一時は同時に25作もの連載を抱える人気作家となった。エロの強い風刺漫画の作風は、評論家に「漫画の堕落」と評されたこともあったが、多くのファンに愛された。

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2021年5月23日のニュース