なすびだから伝えられる「福島の東北の今」 一緒に歩き、一緒に感じて900キロ踏破

[ 2021年3月6日 05:30 ]

東日本大震災から10年――忘れない そして未来へ(6)

「みちのく潮風トレイル」を歩きながら被災者と交流するなすび(撮影・岩田 浩史)
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 東日本大震災から10年。被災地ゆかりの人たちが「あの日」の生々しい記憶とその後の10年を振り返りながら、被災地にエールを送るインタビュー企画。第6回は東北の今を伝え続ける福島県出身のタレントのなすび(45)です。

 3・11のあの瞬間、なすびは仕事で千葉にいた。震源は宮城県三陸沖。テレビで流れる津波や土砂崩れ、そして福島第1原発事故の映像に「これは大変なことが起きた」と震えた。交通手段のめどが立たず、すぐに福島に戻れなかった。もどかしい思いが募る中、ほかの芸能人が大量に物資を支援したり、巨額の募金を行うニュースが報じられた。「自分は何もできなくて、情けなかった」。声を振り絞った。

 身動きが取れるようになった時「福島のため、自分にしかできないことをしよう」と誓い、地元で草刈りや側溝の泥出しボランティアなどに参加。都内近郊で行われる福島や東北の物産展などにも飛び込みで手伝った。「風評被害で、放射線まみれのものを売るな!と怒鳴られたこともあります。それでも“福島県出身タレント”として表に出て発信し続けることが、僕にしかできないことでした」

 身近な存在として、同じ視点で被災地の今を発信したい。その思いは膨らみ、15~16年には青森から福島までの海岸線を結ぶ「みちのく潮風トレイル」を延べ44日かけて歩き、約900キロを踏破。各地で被災者と顔を合わせ、震災後の暮らしを語り合った。

 岩手県釜石市では、津波で父を亡くし、海沿いの道を歩けなくなった同年代の男性と知り合い、ともに海岸線を歩いた。男性から「一緒だったから歩けた。少し傷が癒えた」と言われ「前を向こうとしている人の助けになれた」と感じた。宮城県石巻市では仮設商店街を歩き、一軒一軒訪ねた。パン屋さんでは「こんなところまで来てくれてありがとう!」とパンをもらい、歓迎を受けた。訪れる先々で「笑顔を見ると元気をもらえる」と声を掛けられ、その言葉が、次の挑戦へのエネルギーになった。

 今年2月には、帰還困難区域から昨年3月に一部解除された富岡町から約32キロ続く「うつくしま浜街道トレイル」を歩いた。楢葉町の特産品であるユズのジェラートに舌鼓を打ち、みかんの町と言われた広野町で、新しくバナナの生産が始まっていた。「10年でここまで人が住めるようになるとは思わなかった。浜街道を歩けた喜びは大きかったです」。その2日前には原発にも立ち寄った。以前は敷地内で防護服が必須だったが、今回はマスクのみ。少しずつ、町に日常が戻ってきた。10年の節目を迎えた今年、今度は「みちのく潮風トレイル」を福島から青森まで北上する目標を掲げた。「新型コロナで簡単にはいかないけど、自分の目で復興を感じたい」。福島を中心に東北へ、これからも笑顔を届ける。

 ≪先月被災も自撮りで激励ツイート≫今年2月13日に東北を襲った最大震度6強の地震発生時、なすびは福島市内の実家で被災した。気象庁から「東日本大震災の余震」と発表され多くの被災者が不安を抱える中、ツイッターを更新。笑顔の自撮りを添えて「不謹慎だとの批判非難を受ける可能性も否めませんが、それでも東日本大震災の時、私の笑顔で救われたというお声も少なからず頂戴致しました(原文のまま)」とつづった。

 ◆なすび 本名・浜津智明(はまつ・ともあき)。1975年(昭50)8月3日生まれ、福島県出身の45歳。福島県立福島東高校、専大卒。学生時代に「進ぬ!電波少年」に出演。その後、タレント、俳優として活躍。13年からエベレスト登山に挑戦。16年に4度目の挑戦で登頂を果たす。現在は、自身の主宰する劇団「なす我儘(がまま)」や、劇団「丸福ボンバーズ」で活動。出演作にドラマ「電車男」「トリック」など。芸名はナスのような長い顔から。

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