「麒麟がくる」脚本・池端俊策氏「光秀は僕」ハセヒロ絶賛「大正解」信長と“友情関係”も「悲しい運命」

[ 2021年1月30日 08:00 ]

大河ドラマ「麒麟がくる」第43話の明智光秀(長谷川博己)。脚本を手掛けた池端俊策氏は「光秀は僕だと思って書いていました」(C)NHK
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 俳優の長谷川博己(43)が主演を務めるNHK大河ドラマ「麒麟がくる」(日曜後8・00)の放送も残り2回。主人公・明智光秀が主君・織田信長を討つ戦国最大のミステリーにして今作最大のクライマックス「本能寺の変」(天正10年、1582年)まで“あと3年”となり、謀反の動機はもちろん、物語の結末に大きな注目が集まっている。脚本を担当した池端俊策氏(75)が約2年にわたる作劇を振り返った。

 大河ドラマ59作目。第29作「太平記」(1991年)を手掛けた名手・池端氏のオリジナル脚本で、智将・明智光秀を大河初の主役に据え、その謎めいた半生を描く。昨年1月19日にスタート。新型コロナウイルスの影響により、途中、約3カ月の撮影&放送休止を挟み、1~12月の暦年制としては史上初の越年放送となった。

 2018年10月に執筆を始め、約2年。池端氏は「前回、大河ドラマの脚本を書いたのは、室町幕府を描いた『太平記』でして、150年近く続いた鎌倉幕府を滅ぼした足利尊氏(真田広之)のお話でした。今回の『麒麟がくる』は、200年以上続いた室町幕府を滅ぼす流れをつくった人物たちのお話です。古いものと新しいものとの狭間で何かを変えていくというのは、やはり重荷だし、苦しいんですよね。そういった点では、似たような人物を描いたなという実感があり、歴史は繰り返すんだなと思いました。物語の後半は、一人一人の心理の葛藤が、書いていておもしろかったです。もちろん、それぞれ個性的な登場人物だったということもありますが、緊張感を強いられる中で人間を見つめるという作業は、このドラマの中でできたかなと思っています」と脱稿の心境と手応えを明かした。

 19年11月上旬、放送開始を前にしたインタビュー。中盤の「桶狭間の戦い」(第21話、昨年6月7日)まで書き進み「皆さんが知っている従来の光秀は、信長側から見た光秀、あるいは江戸時代に書かれた徳川家康寄りから見た光秀で、逆賊だったという発想からスタートしている。それは違うんじゃないかと。もっと客観的な光秀がいたはずじゃないかと。光秀がどういう顔をしていたのかは、もう想像するしかないんですが、僕は今までの明智光秀像を全く白紙にしました。だから、僭越ながら、自分がどう感じるかを書けばいいんだなと。『道三を見て、どう思ったのか』とか『信長と会った時、こういう衝撃を受けた』とか。史料がハッキリしている人物たちとの出会いを描いて、その時々の受け止め方、リアクションから光秀像を導き出そうと思っています」と新たな光秀像へのチャレンジを宣言。

 執筆を終えた今、光秀については「光秀は僕だと思って書いていました。そこに、長谷川さんが見事に入り込んでくれたなと思います。光秀は相手が言ったこと、行動したことに反応する“受ける芝居”が多くて、脚本も『……』となっていることが多いです。解釈の仕方や受け止め方、大げさに反応したらいいのか、チラッと瞬きをする程度の反応なのか、大変難しい役だったかと思います。僕は光秀が長谷川博己さんで大正解だったと思っています」と振り返り、座長を褒め称えた。

 大詰めが近づくに従い、光秀と暴走を続ける信長の溝は深まるばかり。前回(第42話、1月24日)、光秀は備後・鞆(とも)の浦に追放された将軍・足利義昭(滝藤賢一)に会いに行く。その後、義昭の手紙が届いたと駒(門脇麦)から知らされ「2人で釣りをしたとありました。1日に1匹しか釣れない鯛を初めて来た十兵衛が釣ってしもうたと。口惜しかったが、なぜかうれしかったと。うれしかったと二度、書いてありました。そして最後に昔話した誰も見たことのないという生き物、麒麟。十兵衛となら、それを呼んで来れるやもしれぬと。そういう埒のないことを思うたと。海辺で暮らしていると、そういう夢ばかり見るのだと」――。

 妻・煕子(木村文乃)、松永久秀(吉田鋼太郎)、正親町天皇(坂東玉三郎)、徳川家康(風間俊介)に続き、義昭からも「信長の暴走を止められるのは自分」「(王が仁のある政治を行う時に必ず現れるという聖なる獣)麒麟を呼べるのは自分」と突き動かされる光秀。本能寺の変へ“外堀”が埋まりつつある。

 「光秀は真っすぐな人間です。光秀と(斎藤)道三(本木雅弘)との関係もそうでしたが、相手をどんどん倒していく野性的な道三に、光秀が振り回されてしまうことが多いんです。信長(染谷将太)も道三と同じように、天才肌ですし、感覚的に動く人間です。ですが、母親(土田御前=檀れい)が愛してくれず、母親が愛した弟の信勝(木村了)を暗殺するという、屈折した部分もあります。その信長を危なっかしいと思いつつ、この人の行動力があれば世の中を統一できるんじゃないか、戦乱の世を終わらせられるのではないかと思い、一種の友情関係を維持して一緒にやっていくわけですよね。しかし、最後はこの人の下では平和な世は来ないと、その信長を殺さざるを得なくなるという、非常に悲しい運命になるので、そういう光秀のつらい気持ちを描きました。確かに信長みたいな人と付き合ってのはしんどいですが、おもしろい人なんですよね。かわいらしいところもあるので、憎めないんです。信長役の染谷さんがとても魅力的でしたね。染谷さんが憎めない信長をうまくやってくださいました。信長は書いていても楽しかったです」

 道三、帰蝶(川口春奈)、松永、羽柴秀吉(佐々木蔵之介)、朝倉義景(ユースケ・サンタマリア)らを個性的なキャラクターに仕上げ「『麒麟がくる』は、どの人物も針を大きく振るといいますか、中途半端に描かないようにしていました。人物が生き生きとしているような描き方は、戦国時代を書く一つの考え方だろうなと思っていました。戦国時代は戦いばかりで、人を疑い、毒殺し、親兄弟も骨肉の争いがあり、本質的には暗い時代だったと思うんです。でも、やはりドラマとしては、そういった人間が何を目指したのかという、夢の部分を書くことで弾んだものにしたかったです」

 光秀は「麒麟」を呼べるのか。最後に、作品を通して伝えたかった思いを語った。

 「一番に思うことは、やっぱり書いていて楽しい世界だったなということです。戦いに明け暮れる世界の人たちでしたが、それでも楽しかった。『世の中は美しいか醜いか』という伊呂波太夫(尾野真千子)のセリフにもありましたが、みんな、どこか美しいですよね。それが救いでもありました。戦のない平和な世の中を望むことは、今の現代人にも共通しています。今まで人間は戦を繰り返してきたわけで、本当の平和が世界に行き渡ったことがないんですよね。『麒麟がくる』というタイトルも、昔も今も平和を望むという人間共通の夢が込められている題名だと思っています。また、夢を持って生きることの大切さを描けたのもよかったです。今はまだまだコロナ禍でつらい世の中ですが、なおさら夢は持ち続けなきゃいけないと思います」

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