石原まき子さん 「裕さん」へのときめき

[ 2020年9月4日 10:00 ]

1958年、映画「陽のあたる坂道」の撮影の合間、日活撮影所でくつろぐ石原裕次郎さん(左)とまき子さん(右)
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 石原裕次郎さんと妻のまき子さん(女優名・北原三枝)の共演作。女性マネジャーを演じるまき子さんの極端なショートヘア、とがった感じから受けるインパクトが強い。映画の公開は1957年で、まき子さんは当時20代半ば。裕次郎さんと結婚する約3年前だった。

 まき子さんには、東京・成城のご自宅で、じっくりと話をうかがったことがある。裕次郎さんの二十三回忌法要(2009年)を控えた時期だった。
 
 裕次郎さんとの出会いは1956年の映画「狂った果実」。まき子さんは既に人気女優で、裕次郎さんは新人だった。プロデューサーの水の江滝子さんから紹介されて初対面した時のことを、まき子さんは「ハッとしました。それまでも二枚目の俳優さんともずいぶん仕事をしたけれど、それほど胸がときめいたことはありませんでした」と明かした。

 つまり、一目ぼれ。まき子さんは「姿形がいいとか、声がいいとか、そういうのはさておいて、こういう人間っているのかしら?と思うような人間性に引かれました。神様、仏様ですよ。ただ、大酒飲みの、ネオン街が大好きな神様ですけど」と笑った。

 出会いから約4年後に結婚すると、まき子さんは芸能界を引退。スターの生活を捨てることには「この人のお嫁さんになれるんだったら、明日にでもやめると思っていました。こんな人には二度と出会えないと思ったのです」と未練がなかった。

 結婚生活は苦労の連続。石原プロ製作の映画が興行的に失敗し、多額の借金を背負った。裕次郎さんはまき子さんに負担をかけまいと離婚を検討。その話を裕次郎さんの母親から聞くと、裕次郎さんに「なぜ私に言わないの?屈辱だ。失礼だ!」と怒りをぶつけた。病気がちな裕次郎さんを支え続けたのも、まき子さんだった。

 結婚して良かったと思うことは?と尋ねると、まき子さんは「1人の男の人に迷いなく命を懸けられたこと」と即答。取材の終わりを告げると「まだまだ面白い話がたくさんありますよ。きょうは、さわりしか話せませんでした。私は裕さんの足跡を次の世代に継承していかなければいけないと思っています。妻だった私は本当の石原裕次郎の世界を伝えられる立場にいるわけですから」と語った。

 まき子さんが代表取締役会長を務める芸能事務所「石原プロモーション」は来年1月に幕を閉じてしまうが、またお話をうかがう機会が訪れることを切に願う。

 ◆牧 元一(まき・もとかず) 編集局デジタル編集部専門委員。芸能取材歴約30年。現在は主にテレビやラジオを担当。

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2020年9月4日のニュース