チャオ!イタリア映画の黄金期を映し出した男

[ 2019年11月27日 09:00 ]

撮影中のカルロ・ディ・パルマ(C)2016 ACEK s.r.l
Photo By 提供写真

 【佐藤雅昭の芸能楽書き帳】ローマ教皇が来日した。カトリック信者に限らず、ニュース映像などを見て、なぜか心があったかくなったという人は少なくないのではないか。核廃絶を願うメッセージも強烈だった。

 今回のテーマはイタリア映画だ。劇場に足を運ばなくとも、新作が配信で見ることが出来る時代。上映形態など映像をめぐる環境が日々変わりつつある中で、高校や大学の映画サークルの活動内容も様変わりしていることだろう。

 40年近く前、大学のシネマ研究会に籍を置いていた筆者は日本映画には及ばずともヨーロッパのクラシック映画にも足を運んだものだ。ロベルト・ロッセリーニやルキノ・ヴィスコンティ、ビットリオ・デ・シーカ、ミケランジェロ・アントニオーニといったイタリアの巨匠たちの作品群が対象の軸だった。

 具体的にはロッセリーニの「無防備都市」(1945年)、79年に日本で初めて公開されたヴィスコンティの「郵便配達は二度ベルを鳴らす」(43年)、デ・シーカの「自転車泥棒」(48年)、ベネチア映画祭で金獅子賞(最高賞)を受賞した「赤い砂漠」(64年)、カンヌ映画祭でパルムドール(同)に輝いた「欲望」(67年)などなど名作の数々。名画座が都内にまだ数多く存在していたのが大きかった。

 これらの作品にカメラマン、撮影監督として携わったカルロ・ディ・パルマにスポットを当てたドキュメンタリー「水と砂糖のように」(オンリー・ハーツ配給、イタリア大使館など後援)が11月30日の東京都写真美術館ホールから順次全国でロードショー公開される。

 2004年に79年の生涯を閉じたディ・パルマ。その功績を称えてヨーロッパの映画賞の撮影賞は特に「カルロ・ディ・パルマ賞」と呼ばれるほどの大物。日本映画界に置き換えると、さしずめ黒澤明監督の「羅生門」(50年)や溝口健二監督の「雨月物語」(53年)で撮影を担当した宮川一夫さんになろうか。

 「光と色の達人」と称されたディ・パルマのキャリアがスタートしたのは42年に製作に入ったヴィスコンティの「郵便配達は二度ベルを鳴らす」への参加。15歳の時だった。アントニオーニの最初のカラー作品「赤い砂漠」で国際的に知られ、「欲望」で名声を確立。生涯で101本の劇映画と40本のドキュメンタリーを残した。

 「水と砂糖のように」はディ・パルマの人となりや、どう映画と向き合っていったかを、手掛けた作品とともにあぶり出していく。証言者が凄い。晩年ともに米ニューヨークで仕事をしたウッディ・アレン(83)はもとより、昨年11月26日に77歳で永眠したベルナルド・ベルトルッチ、ヴィム・ヴェンダース(74)、ケン・ローチ(83)、ニキータ・ミハルコフ(74)ら現代のマエストロが次々と登場。とりわけうれしかったのはプロデューサーの吉崎道代さんが出てきたこと。ヘラルド映画のロンドン駐在員として活躍していた頃にずいぶんお世話になった。懐かしさが募る。

 ファリボルズ・カムカリ監督が5年以上の月日を投じて丹念に紡いでいった渾身のドキュメンタリー。ディ・パルマが撮影した25作品の一部が挿入され、貴重な証言の数々に説得力を持たせている。世界中に影響を与えた黄金期のイタリア映画。学生時代の思い出とともに今によみがえってくる。資料としても一級品だ。

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