裕也さんお別れの会 也哉子さん「父と娘の物語が始まりにも気づかないうちに幕を閉じた」

[ 2019年4月3日 14:45 ]

内田裕也さんお別れの会「内田裕也 Rock'n Roll葬」で「ニュー・イヤーズ・ワールド・ロック・フェスティバル」のポスターを再現した草花で再現した祭壇は白一色のものに
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 3月17日に肺炎のため79歳で死去したロック歌手内田裕也(本名・内田雄也)さんのお別れの会が3日、東京・青山葬儀所で「ロックンロール葬」として営まれ、約950人の業界関係者やファンが参列した。

 喪主を務めた長女でエッセイストの内田也哉子さん(43)は「私は正直、父はあまりよく知りません。わかりえないという言葉のほうが正確かもしれません。ここまで共に過ごした時間が数週間にも満たないからというだけではなく、生前母が口にしたように、『こんなにわかりにくくて、こんなにわかりやすい人はいない。世の中の矛盾をすべて表しているのが内田裕也』ということが根本にあるのかもしれません」としみじみ。「私の知りうる裕也はいつ噴火をするかわからない火山であり、溶岩の間にものともせずに咲いた野花のようなすがすがしく、無垢な存在でもありました。率直に言えば、父が息を引き取り、冷たくなり、棺に入れられ、熱い炎で焼かれ、骨と化してもなお、私の心は涙でにじむことさえ、戸惑っていました。きっと実感のない、父と娘の物語が始まりにも気づかないうちに幕を閉じたからでしょう」と両親が40年以上も別居を続けていたという特殊な環境で育った娘としての複雑な心境を吐露した。

 「私が唯一、父から教わったことは、何だったのか?たぶんそれは、大げさに言えば、生きとし生けるものへの畏敬の念だったのかもしれません」とし、「彼は破天荒で、時には手に負えない人だったけど、ズルい奴ではなかったこと。地位も名誉もないけれど。どんな嵐の中でも駆けつけてくれる友だけはいる。『これ以上、生きる上で何を望むんだ』そう聞こえます」と呼びかけた。

 母・樹木希林さん(享年75)との会話を振り返り、「2人を取り巻く周囲に、これまで多大な迷惑をかけたことを謝罪しつつ、今更ですが、このある種のカオスを私は受け入れることにしました。まるで蜃気楼のように、でも確かに存在した2人。私という2人の明かしがここに立ち、また2人の遺伝子は次の時代へと流転していく。この自然の摂理に包まれたカオスもなかなか面白いものです」と話した。そして、「79年間という長い間、父が本当にお世話になりました。最後は、彼らしく送りたいと思います」とし、「Fuckin’Yuya Uchida,don’t rest in Peace just Rock’n Roll!!!」と英語でメッセージを送った。

 式ではフリーの宮本隆治アナウンサー(68)の司会を担当。裕也さんと親交が深かった堺正章(72)、崔洋一監督(69)、シーナ&ザ・ロケッツの鮎川誠(70)が弔辞をささげて、欠席する横尾氏の弔辞は、裕也さんの娘婿の本木雅弘(53)が代読。このほか、歌手のAI(37)が「アメージンググレース」を天国の裕也さんに歌をささげた。

 祭壇は裕也さんが主催する年越しライブ「ニュー・イヤーズ・ワールド・ロック・フェスティバル」の第1回公演(1973~74年)のために横尾氏が制作したポスターを草花で再現したもの。幅16メートル、縦3・5メートルの祭壇には、菊やバラなど総数15000本もの花で白一色に飾られ、中央には、裕也さんの生き方そのものである“Rock,n Roll”の文字が大きく添えられた。同ポスターは昨年9月に死去した裕也さんの妻で女優の樹木希林さん(享年75)が寝室の壁に飾るなど大切に保管していた。“夫婦の絆”が感じられる祭壇となった。

 遺影は2009年に出版された近田春夫プロデュース本「内田裕也 俺は最低な奴さ」で撮り下ろされた1枚。“ラストステージ”となるお別れの会で、裕也さんの歴史を再現するように、動く遺影としてLEDモニタを祭壇の中に設置し、「2019年ニュー・イヤーズ・ワールド・ロック・フェスティバル」において、人生最後の歌唱となった「きめてやる今夜」をベースに在りし日の姿を映し出した。会場には裕也さんが愛した音楽が音楽がずっと流された。

 会式前には、2014年6月に内田裕也feat.指原莉乃名義で、コラボレーションシングル「シェキナベイベー」をリリースしているHKT48の指原莉乃(26)も弔問に訪れ、献花した。

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