内田也哉子さん謝辞全文「実感のない父と娘の物語が、はじまりにも気付かないうちに幕を閉じた」

[ 2019年4月3日 16:32 ]

<内田裕也・お別れの会>謝辞を述べる喪主の内田也哉子(撮影・吉田 剛)
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 3月17日に肺炎のため79歳で死去したロック歌手内田裕也(本名・内田雄也)さんのお別れの会が3日、東京・青山葬儀所で「ロックンロール葬」として営まれた。親交が深かったタレントの堺正章(72)、崔洋一監督(69)ら約950人の業界関係者やファンが参列した。

 喪主は、裕也さんの長女でエッセイストの内田也哉子さん(43)が務め、遺族代表として謝辞を述べた。

 也哉子さんの謝辞全文は以下の通り。

 本日はお忙しいところ、父、内田裕也のロックンロール葬にご参列いただきまして、誠にありがとうございます。親族代表として、ご挨拶をさせていただきます。

 私は正直、父をあまりよく知りません。「わかりえない」という言葉の方が正確かもしれません。けれどそこは、ここまで共に過ごした時間の合計が数週間にも満たないからというだけではなく、生前、母が口にしたように「こんなにわかりにくくて、こんなにわかりやすい人はいない。世の中の矛盾をすべて表しているのが内田裕也」ということが根本にあるように思えます。私の知りうる裕也は、いつ噴火をするかわからない火山であり、それと同時に、溶岩の狭間で物ともせずに咲いた野花のように、清々しく無垢な存在でもありました。

 率直に言えば、父が息を引き取り、冷たくなり、棺に入れられ、熱い炎で焼かれ、ひからびた骨と化してもなお、私の心は、涙でにじむことさえ戸惑っていました。きっと、実感のない父と娘の物語が、はじまりにも気付かないうちに幕を閉じたからでしょう。けれども、きょう、この瞬間、目の前に広がる光景は、私にとっては単なるセレモニーではありません。裕也を見届けようと集まられたお一人、お一人が持つ、父との交感の真実が、目に見えぬ巨大な気配と化し、この会場を埋め尽くし、ほとばしっています。父親という概念には、到底、おさまりきらなかった内田裕也という人間が叫び、交わり、噛みつき、歓喜し、転び、沈黙し、また転がり続けた震動を、皆さんは確かに感じ取っていた。

 「これ以上、お前は何が知りたいんだ」

 きっと、父もそう言うでしょう…。

 そして、自問します。私が唯一、父から教わったことは、何だったのか? それは、たぶん、大げさに言えば、生きとし生けるものへの畏敬の念かもしれません。彼は破天荒で、時に手に負えない人だったけど、ズルイ奴ではなかったこと。地位も名誉もないけれど、どんな嵐の中でも駆けつけてくれる友だけはいる。
 「これ以上、生きる上で何を望むんだ」

 そう、聞こえてきます。

 母は晩年、自分は妻として名ばかりで、夫に何もしてこなかった、と申し訳なさそうに呟くことがありました。「こんな自分に捕まっちゃったばかりに…」と遠い目をして言うのです。そして、半世紀近い婚姻関係の中、折り折りに入れ替わる父の恋人たちに、あらゆる形で感謝をしてきました。私はそんな綺麗事を言う母が嫌いでしたが、彼女はとんでもなく本気でした。まるで、はなから夫は自分のもの、という概念がなかったかのように。勿論、人は生まれもって誰のものでもなく個人です。歴とした世間の道理は承知していても、何かの縁で出会い、夫婦の取り決めを交わしただけで、互いの一切合切の責任を取り合うというのも、どこか腑に落ちません。けれども、真実は、母がその在り方を自由意志で選んだのです。そして、父もひとりの女性にとらわれず心身共に自由な独立を選んだのです。

 2人を取り巻く周囲に、これまで多大な迷惑をかけたことを謝罪しつつ、今更ですが、このある種のカオスを私は受け入れることにしました。まるで蜃気楼のように、でも確かに存在した2人。私という2人の証がここに立ち、また2人の遺伝子は次の時代へと流転していく…。

 この自然の摂理に包まれたカオスも、なかなか面白いものです!

 79年という永い間、父がほんとうにお世話になりました。最後は、彼らしく送りたいと思います。

 Fuckin’ Yuya Uchida,don’t rest in peace just Rock’n Roll!!!


2019年4月3日
喪主 内田也哉子

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