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浅香あき恵 波瀾万丈の芸能生活40年「回り道しなかったら今の私はない」

60歳の今もエネルギッシュな浅香あき恵
Photo By スポニチ

 芸能生活40周年を迎えた吉本新喜劇の女優・浅香あき恵(60)が元気だ。マドンナとして新喜劇に入団し、恋人役、母親役、ぶさいくキャラなど何でもこなすマルチぶり。3月25日に開催する記念公演「あき恵ちゃん祭り〜未来に向けてがんばルンバ〜」(大阪・なんばグランド花月)を前に波瀾(はらん)万丈の女優生活、幸せな私生活を振り返った。

 ――芸能生活40年、おめでとうございます。

 浅香 早かったというか、波瀾万丈でした。いろいろあって。やっと足が地に着いて踏みしめてやってるという感じで。

 ――やっと、ですか?

 浅香 自分が吉本新喜劇に入って「やめよっカナ!?キャンペーン」で一度は新喜劇をやめて。会社から漫才を勧められました。新喜劇を新しく作る上でもう、ポジションがないよ、一から始めるという形しかないよ、と言われて。会社としては当時、新喜劇が色濃くついた人を排除しようという意味だったんだと思います。

 ――漫才ですが、相方については?

 浅香 (中田)カウス兄さんから「オレはいっちゃん(島田一の介)がいいなと思うで」と言われ、「あき恵・一の介」というコンビを組みました。結局、1年半ぐらいやったかな。でも、いっちゃんの当時の彼女さんがヤキモチ焼いてたみたいで「俺もう、続けられへんねん。頼むから解散させてくれ。芸人辞めてもエエから」と言ってきました。本人はテレビで「あき恵さんが新喜劇に戻るんで(漫才を)やめた」と言ったそうですが(笑い)。一度、話し合いせなアカンなって。

 ――結局、1年半で新喜劇に戻ったんですね。

 浅香 1990年1月に漫才を始めて、翌年5月頃に新喜劇に戻りました。小田真理という名前に改名。北新地のおかまバーのママの名前で、おだまりピーコさんからですよ(笑い)。

 ――復帰して、新喜劇はどう変わっていた?

 浅香 私が抜けた1年ぐらいの間に新喜劇ブームになってましたね。玉手箱を開けた浦島太郎みたいな状態でした。劇場でやってる最中にロケの仕事でテレビ局へとか。そこ(劇場)に誰かが代役で出て。映画に出たり、テレビのロケに行ったり。自分の居場所がなく、笑いにもついていけず、楽屋にいるのがつらかった。会社の営業部の女の子の席に座って、電話番してましたもん。楽屋を避けてました。とりあえず、辞めさせられなかっただけでもラッキーやと思わないと、って。卑屈になってたかも。

 ――新喜劇のマドンナだったプライドはなかった?

 浅香 全てが変わってましたから。高校を卒業して、女優になるんだって決めて。いろいろあって吉本へ入って。将来は文学座に入ろうと思ってた。吉本は腰掛けのつもりだったんです。でも、全国放送のコメディーのレギュラーをもらって。自分はこれでやっていこうと思いましたね。

 ――元々、女優を目指したきっかけは何だった?

 浅香 中学2年の文化祭で「鏡草子」というお芝居で老婆役を演じました。好評で、快感で。卒業文集に「将来は女優になる」と書きました。

 ――新喜劇に戻って、漫才をやってきたことはプラスになった?

 浅香 改めて自分は役者だったんだなって感じました。島田洋之介・今喜多代師匠や、宮川大助・花子さんら男女コンビをイメージして漫才をしました。しゃべり方も同じように。でも、それは漫才コンビを演じる役者をやってるんだなと思えて。お芝居が好きと。今後、ブレることはないなと思いました。

 ――イジられたり、不細工やと言われることに抵抗はなかった?

 浅香 内場クン、石田クンら当時のリーダーが(私を)生かしてあげようと思ってくれた。「不細工やな」と。最初はヘコんでたけど、それが受けるようになって「ちょっと、おいしいかな」と思い始めたのかな。それが定着し、もっとデフォルメして、どんどん化け物扱いされて(笑い)。

 ――それが現在に至る感じですね。

 浅香 私にとっては、一度新喜劇を離れたり、漫才やったり、戻ってきてからもつらい状況があった。私生活では93年に結婚、翌94年に子供を産んで。たぶん、ずっと新喜劇に残ってたら、まだ独身だったと思います。どうしていいか分からなくなった状態があったから、人に頼ってみようかなとか、違う人生も見てみようかなと思えた。40歳の時に、雑誌の取材で、これまでいろいろあったことが、私にとっては必要だったんだなって気づかされた。回り道をしなかったら、今の私はないんだと。その時に幸せを感じましたね。

 ――健康の秘訣(ひけつ)は?

 浅香 加圧トレしたり、水素水を飲んだり。若い人たちとしゃべることがいいんですかね。普通の会社だったらうっとうしがられますが。年齢差も感じないし。愛にゃん(福本愛菜)は娘と年も近く、親目線でも、仲間目線でも話してます。

 ――私生活の充実が目に浮かびますね。

 浅香 パパ(漫才コンビ「Wヤング」の佐藤武志)は私に対しては何も言わないけど、外では褒めてくれてるらしいです。毎日、朝ご飯を作ってくれて、駅まで送り迎えをしてくれて。パパは先輩で、ドキドキしない相手だった(笑い)。ドキドキしない人と結婚してエエんやろかって悩みましたよ。でも、プロポーズされて(若井)みどりさんに相談したら、愛されてる方が楽やでと言われました(笑い)。

 ――40周年記念公演(ゲスト・博多大吉)があります。娘さんが記念ポスターをデザインしていますね。

 浅香 3月に大学卒業予定で、グラフィックデザインの仕事をする会社に就職します。卒業記念にやってみないかって。記念公演は60年後の未来の新喜劇の話です。めだかさんの歌のコーナーとか。楽しみです。

 ――今後の目標は?

 浅香 新喜劇でない女優もやりたい。変化し続けていきたい。自分が人に迷惑をかけるようになったらリタイアします。それまでは頑張ります。

 ▽新喜劇やめよっカナ!?キャンペーン 1988年、人気が下火になりつつあった吉本新喜劇を再生させるには、世代交代と全国区に売り出すことが必要と判断して展開された再生プロジェクト。吉本新喜劇の座員全員に解散通告。若手、ベテラン全員を面談してキャスティングすることになった。

 ◆浅香あき恵(あさか・あきえ)1956年(昭31)10月23日、大分市生まれの60歳。高校2年の時に大阪へ転居し、大阪市立天王寺商を卒業。76年6月に吉本新喜劇に入団し、浅香秋恵の芸名でデビュー。89年に一時退団し、島田一の介と漫才コンビ「あき恵・一の介」を結成も1年半で解散して吉本新喜劇に再入団。家族は夫と1女。

[ 2017年2月26日 09:30 ]

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