重松清氏特別寄稿 黒田&新井が「強い赤ヘル」復活させた

[ 2016年9月11日 09:06 ]

重松清氏

 2016年の赤ヘル軍団、ありがとう――。広島ファンとして知られ、1975年の広島初優勝を描いた小説「赤ヘル1975」(講談社刊)を出している作家・重松清氏が、優勝を祝い本紙に特別寄稿した。

 カープ、やった!

 待ちに待った、悲願の優勝である。

 山本浩二監督のもとで前回優勝した1991年から、25年ぶり。22歳の「神ってる」鈴木誠也選手は、もちろん優勝を知らない。「キクマル」菊池涼介選手(26)と丸佳浩選手(27)、さらには若きエース野村祐輔投手(27)にとっても、前回の優勝は、ものごころつく前の出来事である。

 ずいぶん長かった。球団創設から1975年の初優勝までに費やした歳月が26年だから、それに匹敵するほどのブランクになる(なにしろ前回優勝時には、まだ「ソ連」があったのだ)。

 だが、時間がかかってしまったぶん、喜びは深く胸に染みる。歓声が感涙に変わってくれる。

 初優勝した1975年もそうだった。広島の街には、同年から採用された赤ヘルや赤い野球帽があふれ返り、熱く盛り上がって、文字どおり真っ赤に燃えた。

 その熱狂を、当時中学1年生だった僕も、肌で知っている。50代になったいまも忘れられない。それを物語の形で書き残しておきたくて、3年前に『赤ヘル1975』という長編小説を書いた。

 そこで、『赤ヘル1975』の物語には登場しないが、1975年に生まれた一人の投手と、広島出身の一人の野手の話を、幻の「外伝」としてご紹介しておこう。

 カープが赤ヘルになって初めての春季キャンプを張っていた2月10日、のちの「男気」黒田博樹投手が、大阪でこの世に生を受けた。つまり、黒田投手は「赤ヘル軍団」と同い年なのだ。

 一方、2年後の1977年1月30日に広島市中区で生まれた赤ん坊が、愛すべきいじられキャラの新井貴浩選手である。地元の野球少年だった新井選手にとって、1980年代のカープ黄金時代は、まさに原風景だったはずだ。

 黒田投手41歳、新井選手39歳、ともに堂々たる大ベテランで、押しも押されもせぬオジサンである。そんな2人が、若いチームを投打で引っぱって、優勝へと導いてくれた――オジサン世代のファンには、なんともうれしい話ではないか。

 しかも、2人とも一度はカープを離れながら、再び戻ってきてくれたのだ。チームを優勝させるために。若くてイキのいい後輩たちに「強い赤ヘル」の伝統を受け継がせるために……。これはもう、高倉健さんの任侠映画の世界である。

 そして、僕は思う。黒田投手と新井選手の「帰ってきた」物語が生まれるところにこそ、地方都市――「ふるさと」のチームの底力があるんじゃないか。

 いまは広島を離れて暮らしている人たちは、カープ優勝のニュースを見て、なにを思うだろう。地元に残っている人たちは、都会に出て行った身内や友人知己の顔を思い浮かべて、「おい、カープの優勝、見たか?」と夜空に向かって語りかけているかもしれない。

 小説『赤ヘル1975』には、初優勝を果たした選手たちに「ありがとう!」と、泣きながらお礼を言う人たちがたくさん登場する。

 現実の『赤ヘル2016』も、やはり「おめでとう!」と「ありがとう!」が交錯する光景がヤマ場になるだろう。

 カープの皆さん、優勝おめでとう!そして、ほんとうに、優勝してくれて、ありがとう!

 ◆重松 清(しげまつ・きよし)1963年(昭38)3月6日、岡山県生まれの53歳。早大卒。出版社勤務を経て執筆活動に入り、91年「ビフォア・ラン」でデビュー。01年「ビタミンF」で直木賞受賞。小説作品は「ナイフ」「定年ゴジラ」「エイジ」「流星ワゴン」「とんび」「十字架」他多数。「赤ヘル1975」は13年刊行。原爆投下から30年、カープ初優勝の奇跡が起こった広島の街、人、時代を、当時の自身と同じ中学1年生を主人公に据えて描いた。

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