チャンバラトリオ山根さん死去 最期の言葉は「終わった…さようなら」

[ 2015年11月22日 05:30 ]

元チャンバラトリオのリーダー山根伸介さんの死去を受け、記者会見する宮川花子(左)と志茂山高也

 大阪名物ハリセンチョップなどで人気を博した「チャンバラトリオ」のリーダー、山根伸介(やまね・しんすけ、本名利雄=としお)さんが14日午後0時10分、肝臓がんのため京都市内の病院で亡くなっていたことを21日、所属事務所が明らかにした。78歳。葬儀・告別式は17日に同市内で近親者で済ませた。喪主は妻記子(のりこ)さん。弟子で「宮川大助・花子」の宮川花子(60)は、別れの言葉が「終わった…さようなら」だったことを明かした。

 チャンバラネタで笑いを取り、「ハリセン」で一世を風靡(ふうび)した山根さんが、静かに息を引き取った。

 花子によると、11日に容体が急変。記子夫人からの知らせで入院先に駆けつけると、覚悟を決めた様子で手を握りしめ、「終わった…さようなら」と、途切れ途切れにつぶやいた。その後、亡くなるまで意識は戻らなかったという。

 10年に亡くなった南方英二さん(享年77)、伊吹太郎(78、1994年に脱退)の3人で63年にチャンバラトリオを結成。舞台だけでなくテレビにも多数出演し人気を得た。その後、メンバーの脱退、復帰、加入などを経て、最後は志茂山高也(71)と2人で活動。今年5月、京都市内の劇場のステージ上で約4年前から肝臓がんを患っていたことを告白し、闘病を理由にグループの解散を発表した。

 昨年末に一時、体調が悪化した際に、花子ら弟子が病室で遺言のビデオを撮影した。その中で、「チャンバラトリオはもう終わった。わしはこの体だからもう舞台には立てない」と告白。だが、今年2月に体調が回復したこともあり、記子夫人の意向もあって5月の解散ステージを計画した。以降は入退院を繰り返しながら、後進の指導にも意欲。後継者としたチャンバラJAPANの平山昌雄(40)に、自宅や病室で殺陣の心得指導をしたこともあったという。

 棺には熱烈ファンだったプロ野球・巨人のタオルが納められた。ハリセンは?と問われ、「どうだったろう?」と慌てる場面もあった花子だが、人柄に関しては「親ばかな師匠でした」としみじみ。礼儀を重んじ、男の弟子に対する指導は厳しい一方、殺陣ができない花子には「お前は真ん中に立ったら、周りが斬られてくれるから」と気遣ってもらえた思い出を吐露。別れを惜しみながら「50数年、チャンバラ一筋で頑張ってきた魂が、まだまだ後進に受け継がれていく」と故人の思いを代弁した。

 ◆山根 伸介(やまね・しんすけ、本名山根利雄)1937年(昭12)2月15日、京都市出身。市立西京高校を経て、日大に入学するも中退。56年に東映に入社し、斬られ役俳優として活動。チャンバラトリオとして上方漫才大賞(76年)、上方お笑い大賞金賞(同)など受賞歴多数。

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