湯川れい子が語るビートルズ 不機嫌だったジョン、後年「ゴメン」

[ 2015年11月22日 12:00 ]

湯川れい子さん

 「六本木心中」「恋におちて」などのヒット曲で知られる湯川れい子(79)が今年、作詞家生活50周年を迎えた。エルビス・プレスリーら世界のビッグアーティストとも親交を持ち、音楽評論家としても活躍中。この人の生きざまがまさに日本のポップスの歴史。思い出すまま、そのいくつかのエピソードを聞いた。(川田 一美津)

 細長いソファの隅っこで、ジョン・レノンはそっぽを向いて座っていた。ジョージ・ハリスンは、マイペースで質問に答えた。最も遅くメンバーに加わったリンゴ・スターは、他の3人を気遣うように終始言葉少なだった。その場を仕切っていたのは、ポール・マッカートニーだった。最後に「誰かと1枚写真を撮ってもらえますか」と頼んだ。ポールが「誰と記念写真を撮りたいの?」と応じた。「リンゴです」。すると、ポールが「ジョージ、彼女のためにシャッターを押してあげてよ」とカメラをポンと手渡した。

 1966年6月、世紀のアイドル、ザ・ビートルズが初来日。日本武道館で3日間のコンサートを行った。日本中の若者はこの4人組に夢中だった。その時、湯川が彼らにインタビューした時の様子だ。

 「実際の4人は、あのまんまという感じでしたね。私と同年代の実にチャーミングな青年たちでした。でも、ジョンだけはちゃんと答えてくれなかったので、少し嫌な感じでしたね」

 ビートルズの人気が過熱すればするほど、「ロックを聴くと不良になる」など社会的批判も増えた。評論家の彼女にとって、それを冷静に分析することも仕事。ジャズは次第に理論武装に走り、何か違和感が芽生え始めていた頃、そんな時に出会ったのが彼らだった。

 「楽しいから熱狂する、カッコイイから飛びつきたくなる、それって凄く純粋な気持ち。私の求めていた音楽ってこれなんじゃないかな。私にとってもエポックメーキングな出来事でした」

 後年、ジョンに会う機会があった。湯川が「あの時は」と口にすると、「行く先々で騒がれ過ぎてもう辟易(へきえき)していたんだ。僕たちに会いに来られるのは、権力者ばかりだし。嫌な思いをさせてゴメン」。その言葉にますますビートルズに心引かれる自分を感じた。(敬称略)

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