「世にも奇妙な物語」から売れっ子輩出したワケ 梁山泊的な雰囲気あった

[ 2015年5月5日 11:00 ]

インタビューに答える共同テレビの小椋久雄氏

 1990年4月の放送開始から25周年を迎えた「世にも奇妙な物語」。第1回放送のチーフ演出を担当し、番組に創始者の1人とも言える共同テレビの小椋久雄氏にヒット作となった理由を聞いた。

 「世にも…」の放送が始まった時代はトレンディドラマ全盛期。特にフジテレビは「抱きしめたい!」「愛しあってるかい!」「世界で一番君が好き!」を始めとしてトレンディドラマで次々とヒットを飛ばしていた。「そういうものではないものを作りたい」という思いから89年に恐怖をテーマにしたオムニバス番組「フローズン・ナイト」、「奇妙な出来事」を制作したことが「世にも…」の下敷きになった。

 そうした時代の中で、同局が苦戦していた木曜午後8時のドラマの枠に「ドラマやめるから、最後好きなものやれよ」と当時の編成部長からお墨付きをもらい、フジテレビの石原隆氏を中心に「世にも奇妙な物語」が誕生。ゴールデンタイムに恐怖系のオムニバスは絶対当たらないからやめろと周囲から言われたが、第1シリーズ後半には視聴率が20%を超えた。

 「奇妙というのはそれまでなかった新しいマーケットを作りましたね。奇妙の前に奇妙のようなものはなかった。他にもある当たったものを焼き直すっていう、それはマーケティングリサーチの作り方でしょうね。でも他にないのでマーケティングリサーチのしようがない。当たるかどうかわからないけど、自分たちが好きというものをやっていいというお墨付きでやらせてもらって。そういう意味では僕たちはすごくラッキーでした、自分たちが好きなものをやって興業的に当たった」

 また、中園ミホ氏、北川悦吏子氏、本広克行氏ら今やヒット作品を次々と飛ばしている脚本家、演出家が無名な時代に参加していることも番組の特徴の1つだ。

 「連続ドラマを1クール書くのは新人には荷が重い。だけど奇妙は1時間3本だったから15分くらいの物語。作家から見ると敷居が低いというか私でも書けそうという感じがあるし、1アイデアがすぐれていれば企画が通る。敷居の低さみたいなのがあったんじゃないですかね。当時北川さんは脚本家としてデビューしていなくて日活の社員でしたね」

 そうした敷居の低さが結果的に切磋琢磨(せっさたくま)につながり、良作が飛び出す土壌となった。「そういうケースってなかなかないなと思うんですね。モラトリアムみたいな人たちが集まったことが結果奇妙を新鮮なものにしていったという感じですね。いつもまだまだ、っていう人たちがいろんなもの題材にしろストーリーにしろ探していて。モラトリアム感、梁山泊のような雰囲気があった」と、若手クリエイターの登竜門的存在だった当時を振り返った。

 「世にも…」と言えばストーリーテラーを務めるタモリ(69)の存在も大きい。「ある種世の中を俯瞰で見ているような神のような目線、それと知性が番組に合っていたんだと思います。それを視聴者に向けて教訓であったり、教訓さえ言わないこともありますけど、あの存在感は奇妙をグレードアップするために必要なキャスティングだったと思います」

 ストーリーテラーの部分だけでなく、本編にタモリが出たこともあるという。「片岡鶴太郎さん主演の『帰れない』ではおでん店の親父がタモリなんですよ。25周年もスケジュールが許せばそういうことをやってみたいなと思いますね」

 「世にも…」の番組サイトでは放送開始25周年を記念し、人気作品投票を受付中。得票上位から選りすぐりの作品をリメイクして今秋に放送する。小椋氏は「皆さんが選んだ1票の結果で新しいキャスト、新しい演出家でできる。例えばずんどこべろんちょ2015年版ができるわけですから。視聴者が参加して楽しんでいただいて、自分たちが大好きな1本をもう1度見られるようにしていければ」と呼び掛けた。投票期間は7月31日まで。

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